約 3,810,935 件
https://w.atwiki.jp/83452/pages/18234.html
「実はさ……」 私は純ちゃんの方を向きながら、最初だけちょっと深刻そうに呟いてみる。 「色々あってムギに抱き着いたら、そのまま二人して転んじゃったんだよなー。 勢いが強過ぎたみたいでさ、いやはやどうにも申し訳ない。 ちなみに『色々』が何なのかってのは乙女の秘密よ。 きゃはっ」 最後にはピースサインを見せて、とぼけてみせた。 純ちゃんと憂ちゃんがちょっと困った様に笑う。 梓も「何やってるんですか……」と呟きながら苦笑した。 うん。嘘は言ってない。 嘘は言ってないんだけど、やっぱり皆を誤魔化すのは結構辛い。 今は話せないけど、いつかその『色々』を皆に話せる時が来ればいいな。 不意に憂ちゃんが少しマッサージを止めて、目を伏せながら言った。 「でも、気を付けて下さいね、律さん。 律さんが怪我しちゃったら、皆、悲しいと思うんです。 お姉ちゃんも今まで何度か怪我した事があるんですけど、 その度に私、すっごく心配で、恐くて、不安で、悲しくて……。 澪さんだって、律さんが怪我したら、すごく心配だと思うんです。 ううん、絶対に心配なんですよ。 だって、さっきの夕食の時、 澪さんが律さんの肘を見ながら、すごく心配そうにしてましたし……」 唯の昔の怪我の事を思い出したのか、憂ちゃんの言葉はとても辛そうだった。 自分の怪我より誰かの怪我の方が辛い。 憂ちゃんはきっとそういう子なんだと思う。 澪……も形は違うけど、自分の怪我より誰かの怪我の方が苦手なんだよな。 痛い話が苦手だし、私が骨折した時にも泣いてたし、 唯がギターの弦で指をちょっと切った時も大袈裟に騒いでた。 そういう意味で澪は誰かの怪我に敏感な奴なんだ。 どうも憂ちゃんと比べると、 我が幼馴染みながら情けなくなるけど、それもそれで私の好きな澪の一面だ。 そこが嫌いだったら、こんなにも長い間、澪と付き合ってない。 高校だってきっと別の高校にしてた。 だから……、私は澪を大切に思うのと同じくらい、私を大切にしなきゃいけない。 私は重ねていた梓の手から自分の手を放し、憂ちゃんの肩に手を置いた。 まっすぐに憂ちゃんの瞳を見つめ、軽く頷く。 「うん、ごめん、憂ちゃん。 次からは気を付けるよ。澪をこれ以上心配させたくないもんな」 憂ちゃんは軽く微笑んで、 でも、少しだけ目の端を吊り上げて、口元に人差し指を当てた。 「めっ! ですよ、律さん。 そんな事言っちゃ、めっ! です。 律さんの事が心配なのは、澪さんだけじゃありませんよ。 私だって、お姉ちゃんだって、紬さんだって、純ちゃんだって、 和ちゃんだって、勿論、梓ちゃんだって、律さんの事が心配なんですから」 憂ちゃんのその言葉に純ちゃんは「うんうん」と頷いてくれたけど、 梓は私の二の腕から手を放し、「いや、私は別に……」と目を伏せて呟いた。 可愛げの無い後輩だけど、その頬は軽く赤く染まっていた。 どうも私の事が心配なわけじゃないんだけど、 面と向かって親友に自分の気持ちを言われちゃうと恥ずかしいらしい。 まあ……、気持ちは分かるかな。 唯の奴、勝手に私の気持ちを澪に代弁する事が結構あるんだけど、 あれは本当に恥ずかしいんだよな。 「りっちゃんも澪ちゃんの事が大好きだし!」とか真顔で言うんだよ、あいつ。 例え本当にそうでも、はっきり言われちゃうと素直になれなくなるっつーの。 しかも、更に腹立たしいのは、 あいつの代弁がその時の私の考えとぴったりな時が多い事だ。 エスパーか、おまえは。 いや、唯の事はともかくとして。 憂ちゃんの言葉は嬉しくて、申し訳なかった。 そうだな。私はもっと周りに目を向けなきゃいけないんだ。 もう一度、私は憂ちゃんに真剣な言葉を届ける。 「そうだよね。重ね重ねごめん、憂ちゃん。 私だって皆の事が心配なんだ。皆だって私が怪我したら心配だよな。 気を付けるよ。皆の事、悲しませたくないもんな。 ま、残念だけど、梓だけは私の事が心配じゃないみたいだけどさ」 わざとらしく肩を落として溜息を吐いてやる。 私のその演技には気付いてるらしく、梓が「はいはい」と肩を竦めた。 本気で生意気だな、こいつは……。 昔はあんなに「律先輩、律先輩」って懐いてくれたのに……。 うん、ごめん、それは嘘。 梓は昔から生意気な後輩で、あんまり懐いてもくれなかった。 でも……、昔から私の事をちゃんと見ていてくれて、 今も私に悪い事を言っちゃったんじゃないかって、不安そうな顔をしていて……。 そんな可愛げの無い梓が可愛くて、いつの間にか私は微笑んでいた。 また、その頭を軽く撫でてやる。 抱き着いた回数こそ唯には全然及ばないけど、 梓の頭を撫でた回数なら、多分私の方がずっと多い。 それくらい習慣になってる私と梓のコミュニケーション。 色々と素直になれない二人だけど、このやりとりだけはずっと変えずにいたいと思う。 数秒後、その手は梓に軽く払われる事になるわけだが。 まあ、これもこれで私達の普段のコミュニケーション。 お約束ってやつだ、多分。 ◎ 純ちゃんのマッサージが終わった後、 布団の上に広げていたスーパーオールスターパックを席に運び直す。 四人で席に座ると、憂ちゃんがダージリンを給仕してくれた。 給仕役がよく似合うけど、新軽音部でも憂ちゃんが給仕してるんだろうか? 本人に訊くのも何だし、今度、梓に訊いてみる事にしよう。 ちなみに席に座ってる四人は、私、純ちゃん、梓、和だ。 私は元梓の席、和は元ムギの席、純ちゃんは元澪の席、梓は元私の席に座ってる。 勿論、残ってるのは元唯の席だ。 後で憂ちゃんがその席に座ったら、軽音部企画会議を始めようと思う。 そう。 わざわざ私が元私の席に座らずに、 元梓の席に座ってるのは、これから軽音部企画会議を始めるためなのだ! やっぱり企画会議の時はこういう席割じゃないとな。 議題はまだ誰にも言ってないけどな! 「何をするつもりなの、律?」 梓が探し出してくれた地図に視線を落としながら、和が私に小さく訊ねた。 私は小さく溜息を吐いて、先に突っ込んでおく事にする。 「何をするつもりっつーか、 そっちこそ今まで何をしてたんだよ、和は……」 「何をって……、 地図を読んでいたんだけど?」 「知っとるわ! 私が憂ちゃんにマッサージをされてる時も、 皆と色んな話をしてる時も黙々と地図なんか読んでからに! 居ないのかって錯覚するくらいだったわ! 何つーか……、会話に入ってくれよ……」 私が言うと、和は真顔で首を傾げた。 私の言ってる事が意外で仕方が無いって様子だった。 「え? 会話に参加してよかったの? 律達、楽しそうだったから、邪魔しちゃ悪いなって思ってたんだけど。 私が軽音部の輪の中に入っちゃっていいものか分からなかったのよ」 「お気遣いありがとう、和……。 でも、和ももう身内みたいなもんなんだからさ、 遠慮せずにどんどん会話の中に入って来てくれよな」 「そうね……、ありがとう、律……。 私ももうちょっと遠慮をやめないといけないわね。 でも……」 「でも、何だよ?」 「貴方達が本当にいいチームに見えたのよ。 一人だけ先輩が混じってるなんて思えないくらい。 だから、ちょっと会話に入りにくかったのよね。 そうね……。 律がもしも留年してたら、今頃はこんな軽音部になってたのかしらね?」 「縁起でもない事を言うなよ……」 私はげっそりとして突っ込みながらも、実はちょっと驚いていた。 私が考えていた事をそのまま和が考えてくれていた事に。 実は私も和と同じ事を考えていたんだ。 この四人で軽音部をやれたら、どうなるんだろうって。 すっごく楽しそうだなって。 でも、それを頭の中で思うのと、口にするのでは全然違う。 それを言葉にしていいものか、本気で迷う。 そのための軽音部企画会議をしようと思ってたわけだけど、 それが三人の心を傷付ける事になるんじゃないかって不安になるんだ。 「軽音部かあ……」 ドーナツを口にしながら、純ちゃんが遠い目を浮かべる。 いつも明るい純ちゃんに似合わず、寂しそうな表情に思えた。 「ライブやりたかったよね、憂、梓。 そりゃ完璧ってわけじゃないけどさ、 それでも私達の曲を澪先輩達に聴いてもらいたかったー! でも、流石にスミーレ達が居ないとなるとなー……。 ギターとベースだけってのもねー……。 せめて、ドラムが居ないと……。 今更ドラム打ち込みってのも味気無いし、あー、悔しい!」 「無茶言わないの、純。 周りがこんな状況で、そんな事言ってられないでしょ」 「何よー。梓はライブやりたくないのー?」 「そりゃ……、やれるもんならやりたいけど……」 純ちゃんが言うと、梓も悔しそうに目を伏せて呟いた。 そっか……。 やっぱり二人ともライブをやりたかったんだな……。 私だって、梓達の前でライブをやりたいしな……。 「私……、ドラムやろうかな……。 律さんや菫ちゃんのドラムを見てただけだからね 全然、自信無いけど、純ちゃん達の演奏が聴いてもらえるなら頑張ってみる!」 給仕を終えた憂ちゃんが決心した表情で元唯の席に座る。 憂ちゃんがドラム……。 呑み込みの早い憂ちゃんの事だ。 きっと少し練習しただけで、見事なドラム捌きを見せてくれる事だろう。 だけど、それは……。 「それは駄……」 「駄目だよ、憂! 憂はお姉ちゃんに練習した成果を見せるんでしょ? ドラムでも一応の練習の成果にはなるけど、 やっぱり憂がこれまでわかばガールズでやって来た事を見せなきゃ意味が無いって! そうでしょ?」 そう言ったのは純ちゃんだった。 私が言おうとした事を全部言われてしまった。 でも、それが嬉しい。 新軽音部……、『わかばガールズ』はちゃんと機能してるんだ。 お互いを思いやって、最善のために動けてるんだ。 視線を向けてみると、梓も嬉しそうに純ちゃん達を見つめていた。 部員達の繋がりを部長として嬉しく感じてるんだと思う。 部長ってのはこれだからやめられないんだよな。 「でも……、でもね、純ちゃん……。 私、やっぱりお姉ちゃん達に、私達の演奏を聴いてもらいたいよ……。 梓ちゃんも純ちゃんもそのために頑張って来たの知ってるから、だからね……」 憂ちゃんが複雑な表情で呟く。 純ちゃんが自分の事を気遣ってくれて嬉しいけど、 憂ちゃんにもどうしても譲れない所があるんだろう。 全員が全員の事を思ってて、だからこそ、譲れなくて……。 だから、私は決心した。 これ以上、後輩達に重荷を背負わせる必要は無い。 後は私が勇気を出せば済むだけの話だ。 私は席から立ち上がり、両手を掲げる。 わかばガールズのドラムの子(確か菫ちゃん)に、 心の中で謝ってから、高鳴る鼓動を抑えて力強く宣言してみせる。 「おっしゃ、話は聞かせてもらったぜ、わかばガールズの皆さん。 忘れてもらっちゃ困るぜ。 ここに放課後ティータイムの伝説的なドラムスが居るって事をな」 おどけた言い方をしてはいたけど、本当は緊張で息が詰まりそうだった。 そういう言い方しか出来なかった。 正直、余計なお世話なんじゃないかって気がしてる。 梓達はわかばガールズって新バンドでセッションをしたいんだ。 私達に練習の成果を聴かせたいんだ。 そこに私が参加してどうするんだって話だよ。 余計な上に邪魔者以外の何者でもない。 でも、私はわかばガールズを放ってはおけなくて……。 余計なお世話でも、力になりたくて……。 だから……。 しばらくの沈黙。 立ち上がった私に誰も何も言わない。 わかばガールズがライブをするって意味を分かってない。 そんな風に思われたのかもしれなかった。 私なんかが菫ちゃんの代わりになれるはずもない、とも思われてるのかもしれない。 思わず目を瞑る。 やってしまったのだろうか……。 傷付けてしまったんだろうか……。 わかばガールズのメンバーが揃ってないという事を実感させてしまったんだろうか……。 不意に、椅子が動く音がした。 恐る恐る目を開いてみると、梓がその場に立ち上がってるのが目に入った。 梓は真剣な顔をして、こう呟いた。 「え? 伝説的なドラムって誰でしたっけ? 和先輩でしたっけ?」 言い終わった後、梓が意地悪く微笑む。 からかわれたんだと気付き、私は梓に掴み掛ろうと腕を振り上げる。 「中野ー!」 一瞬、梓は日焼けしてるんだって事を思い出し、 掛ける技をチョークスリーパーからアイアンクローに変更する。 梓の頭を軽く掴み、手の中でクルクルと回してやった。 「ここに居るだろー。 放課後ティータイムのドラムスの田井中律さんがー!」 「いえ、律先輩が放課後ティータイムのドラムスって事は知ってますけど、 律先輩は普通のドラムスで、伝説的なドラムスではなかったはずなんですよね。 おかしいですね。 放課後ティータイムの伝説的なドラムスって誰なんでしょう?」 「中野あずにゃんこー!」 叫びながら、もう一度、梓の頭をクルクルと回してやる。 確かに伝説的なドラムスは言い過ぎだったかもしれんが、 そんな言い方をしなくてもよかろうが……。 だけど、私の心は落ち着いていた。 多分、私の緊張を感じてくれた梓が軽口を叩いてくれたんだと思う。 それが嬉しくて、高鳴っていた胸も治まって来ていた。 ちょっと思い付いて見回してみると、 純ちゃんも憂ちゃんも、和ですらも苦笑してるみたいだった。 「いいんですか?」 憂ちゃんが苦笑したまま、私に訊ねる。 「律さん、わかばガールズのドラムになってくれるんですか?」 その表情は苦笑を浮かべながら、申し訳なさそうに見えた。 ライブを見せるはずだった相手をバンドに参加してもらっていいのかな、って感じだ。 私は梓の頭から手を放して、小さく首を横に振った。 「ううん、違うよ、憂ちゃん。 私はわかばガールズのドラムスにはならない。 わかばガールズのドラムスは一人だけで、菫ちゃんって子だけだよ」 「え? それじゃ……」 「私は単なる助っ人だよ。 わかばガールズのメンバーの手助けのために来たお助けキャラの一人。 やっぱり、わかばガールズは正メンバーで演奏するべきだと思うんだ。 その時を私も楽しみにしてるしさ。 でも、いつになるか分からないその時を待ち続けるのも、お互いに辛いでしょ? だから、それまでの今だけのコラボユニットってのは、どうかなって思うんだけど……」 「いいですねー、コラボユニット!」 思いの外、純ちゃんが楽しそうに言ってくれた。 私だって、考えるだけで楽しくなって来る。 コラボレーション。 思い付きで言ってみた事だけど、すごく悪くない気がした。 私は席に座り、人差し指を立てて言ってみる。 「これこそまさに炭水化物と炭水化物の夢のコラボレーション!」 「炭水化物ばかり食べてると太りますよ」 突っ込んだのはやっぱり梓だった。 確かにそうなんだが、そこは突っ込むなよな……。 「何だよ、梓はコラボに反対なのか?」 言いながら、不意に気付いた。 今朝、私は梓に放課後ティータイムの再結成をしようと伝えた。 それを忘れたみたいにコラボユニットを組むって言うなんて、虫が良過ぎただろうか? 不安を隠し切れず、梓の表情を覗き込んでみる。 再結成の事は決して忘れてないんだって思いも込めて……。 「いいえ。いいと思います、コラボユニット! 律先輩もたまにはいい事考えるじゃないですか!」 たまにはって何じゃいな……。 でも、梓が笑顔でそう言ってくれた事には安心出来た。 それに、コラボユニットを思い付けたのは、梓の軽口のおかげだった。 梓がドラムとは全く関係の無い和の名前を挙げてくれたおかげで、 関係無く見える物同士のコラボレーションってやつを思い付けたんだ。 「コラボユニットね。 それなら一つ提案があるんだけど……」 和が眼鏡を押し上げながら、口を開く。 今度はちゃんと私達の会話に入って来てくれたらしい。 それでこそ和だ。 むしろ、そうでないと困る。 これから和にも頑張ってもらう予定なんだからな。 まあ、とりあえずは和の提案を先に聞く事にしよう。 19
https://w.atwiki.jp/83452/pages/18267.html
◎ を繋ぐ。 決して離れないように、二度とこの手を離すものかと強く繋ぐ。 私と唯は指を絡ませ、お互いの体温を肌で感じ合う。 もう何も失くしたくはないから。 失くすわけにはいかないから。 夜、私は唯と二人でベッドに横になって話した。 話しても話しても尽きない事を話し合う。 唯達が準備してた新曲の話。 私達の新しいバンドの話。 和達を失って私がどう思ったのか、唯がどう思ったのか。 その悲しみとどう向き合っていけばいいのか。 そして、これからどうするのか、どうしていきたいのか。 色んな話をした。 皆が傍に居られるための話をした。 皆で居るのは幸せだ。 皆と一緒に居れば、どんな困難でも笑顔で乗り越えていけそうな気だってする。 何だって乗り越えられる。 それは私だけが感じてる事じゃない。 皆がそう感じてるんだって、私には確信出来る。 それは私達の手が強く繋がっているから。 離したくない、離れたくないという強い意志を、皆の手のひらから感じるからだ。 嬉しい……。 本当に嬉しいんだ。 こんなにも大切な仲間が私にも出来た事が。 生涯の仲間どころか、永遠に一緒と確信出来る仲間達に出会えた事が。 私達の卒業で小さな後輩が少しの間だけ私達と離れる事になりはしたけど、 それでも私達の想いは絶対に揺るがない。揺るがしちゃいけないんだって思ってた。 でも、胸の中で激しく動く鼓動が、私に不安を覚えさせる。 私達は手を繋いでる。 自分達の意思で強く強くお互いの手を繋いでいる。 離れないために。 繋いだ手を更に強く繋いでまで。 これで私達はずっと一緒に居られる。居られるはずだ。 それは私が心の底から望んだ事のはずなのに、心の底からの笑顔を皆に向けられなくなった。 私達を繋いでくれたもう一つの絆である音楽すら、心の底から楽しめなくなってきて……。 そんな偽物の希望、偽物の笑顔と偽物の音楽に溢れた日常の中で、不意に私は気付く。 ひょっとしたら、私達は手を繋いでるんじゃなくて……。 だからこそ、私達は今度こそ本当の音楽を演奏しなくちゃいけない。 本当の笑顔を見せ合わなきゃいけない。 今度こそ……。 今度こそは絶対に。 皆とは一緒に居たい。ずっとずっと一緒に居たい。 傍に居たいからこそ、私達は自分の意思で……。 ◎ 目を覚ました時、私は自分の腕の違和感に気付いた。 何故だかとても腕が痛い。 締め付けられてるような気がする。 唯と手を繋いで眠ってたはずだから、唯が私の手をきつく握ってるのか? まあ、私も結構強くあいつの手を握ってはずだから、人の事は言えないか。 大学生にもなって友達と手を繋いで寝るなんて、思い返してみるとかなり恥ずかしいけどな。 でも、いいか。 恥ずかしいけど、自分の気持ちに正直になれたと思う。 言いたかった事や、言えなかった事をやっと二人で話し合えたんだ。 それだけで、恥ずかしさなんてどうでもよくなる。 にしても、唯の奴、 いくら何でも私の腕を握り締め過ぎじゃないか? やれやれ、仕方が無い奴だな……。 私はそう思いながら右腕を布団の中から出してみて……、息を呑んだ。 何だ、これ……? どうしてこんな事になってるんだ? 一体、誰がこんな事を……? 頭が混乱する。 起きたばかりだからかもしれないけど、頭の中が全然整理出来ない。 眠る前、唯と話していた時にはこんな事になってなかったはずなのに、 唐突過ぎる突然の出来事を受け止めきれずに、ただ心臓だけが激しく鼓動する。 確かに私は唯と離れたくなかった。 皆と一緒に居たかった。 一緒に居たいって想いを大事にしようと思った。 一緒に居たいからこそ決心しようとしたのに、何なんだ、これは……。 こんな形じゃない。 離れたくないって思ったのは、こういう意味じゃないんだ……。 「おはようございます、律先輩」 声を掛けられて、やっと気付いた。 ベッドの横の椅子に座って、梓が私と唯を嬉しそうに見ていた事に。 その梓の右腕が私の左腕と繋がれてる事に。 包帯でぐるぐると巻かれて、私の手首から肘くらいまでが繋がれてる事に。 今、私と唯の腕が包帯で決して離れないように繋がれてるみたいに……。 二度と離れ離れにさせないために……。 言葉を出せない。 私ただ上半身を起こし、梓と視線を合わせ……、ようとしてそれが何かに遮られた。 何かって勿体ぶるまでもない。 言うまでもなく、それは私の前髪だった。 愛用のカチューシャはホテル備え付けの机に置いてある。 カチューシャを取りに行こうかとも思ったけど、 両腕が繋がれているせいで、それも出来なかった。 でも、少しだけ助かった気もしていた。 今の梓の真意が全然掴めない。 目を合わせた所で、何を話したらいいのか見当も付かなかったからだ。 私は口を閉じたまま、梓と繋がれた自分の腕に視線を下ろす。 梓の右手の指は私の左手の指と絡まっていた。 強い力で絡まっていて、それでも足りないと言わんばかりに上から包帯が巻かれている。 絶対離れたくない……、ずっと傍に居たいって、 そういう梓の強い意志が目に見えるみたいだった。 「……おわっ、何これ!」 私が上半身を起こした事で、私と包帯で繋がれてる唯も目を覚ましちゃったんだろう。 唯も上半身を起こして、私と繋がれてる包帯を見ながら驚いた声を出していた。 「おはようございます、唯先輩」 「……え? あ、おはよー、あずにゃ……」 戸惑いながらも挨拶を返そうとした唯の言葉も止まる。 梓の異変に気付いたんだろうと思う。 梓と特に仲の良い唯だって、梓の今みたいな様子を目にした事は無いみたいだった。 今、梓は嬉しそうな表情を浮かべている。 これまでずっと抱えていた物を降ろせたかのような、爽やかな表情を浮かべている。 こんな状態になってるってのに、こんな状態にしてるってのに……。 唯が戸惑った表情で私と繋がれた自分の腕に視線を下ろす。 包帯で私と強く繋がれた自分の腕を見ると、唯は途端に表情を変えた。 戸惑ってるわけでも、怒ってるわけでも、怖がってるわけでもなく、ただ悲しそうな表情に。 責任を感じてるみたいに……。 私達が無言のままで居たせいだろう。 流石に梓も私達が今の状況を呑みこめていない事に気付いたらしく、 ツインテールの髪を左右に揺らしながら、身振り手振りを交えて説明を始めた。 「あっ、この包帯はですね、 寝る時に皆さんの身体が離れないようにと思って、繋がせて頂いたものなんですよ。 私、何度も考えたんですけど、 何度も何度も考えたんですけど、やっぱりあの強い風が吹いた時でも、 私達の身体が触れ合ってたら、同じ場所に転移する事が出来るって思うんですよ。 まだ確証はありませんけど、その可能性は高いって思います。 だから、先輩達……、勿論、私も含めて、皆、もっと傍に居るべきだって思うんです。 特に睡眠の時は寝る前に手を繋いでいても、無意識に手を離しちゃうかもしれないじゃないですか。 そんな時にまた風が吹いてしまったら困るじゃないですか。 だから、そうならないためにも、私達は手首を包帯か何かで繋いでた方がいいと思うんです。 私達が傍に居るためには、それが一番いい方法だって思うんです。 最善の方法なんですよ!」 早口の梓の説明に私と唯は圧倒される。 理に適った梓の言葉に私達は何も言い出せなくなる。 確かにそうだ。 梓の言ってる事は間違ってない。何一つ間違っちゃいない。 徹頭徹尾、理屈としては正しい事を話してる。 梓の言う通りにすれば、確証は無いにしろ私達は転移させられた後も傍に居られるはずだ。 傍に居られる可能性は何もしてない時よりもずっと高くなるはずだ。 だけど……、この胸に広がる不安感は何なんだ? 私は皆の傍に居たい。ずっとずっと傍に居たい。 傍に居て笑い合っていたい。 それなのに、これは違う。こんな事をしちゃいけないって思ってしまう。 どうしてなのかは自分でも上手く説明出来ない。 でも、どんなに傍に居たいからって、こんなのはしちゃいけない事なんだ。 私達は傍に居たいと思ってた。 高校を卒業して、離れ離れになってからその想いはずっと強くなった。 遠く離れても大丈夫ってよく聞く言葉は建前だ。 遠くでお互いの事を思い合う事なんて、そんなに簡単な事じゃない。 傍に居なきゃ想いは伝えられない。 傍に居なきゃ不安ばかり募っていく。 傍に居なきゃ……、傍に居なきゃ……。 だから、まだはっきり思い出したわけじゃないけど、 元の世界で唯が頭に大怪我した時、確か私達はもっと唯の傍に居られればって思ったはずだ。 唯の傍に居るんだ、皆の傍に居るんだって、皆で強く思ったんだ。 どういうわけか、どういう理屈か、その願いは叶った。 そして、叶った結果がこれだった。 誰よりも傍に居る事を願った私達が手に入れた物は、私達五人しか存在しない世界だったんだ。 私達が傍に居られる事はとても嬉しい。 だけど……。 私は私と包帯で繋がれた唯と視線を合わせる。 唯は悲しそうな表情を浮かべて、首を横に振っていた。 それだけの事で、私にも理解出来た。 唯も私と同じ気持ちなんだって。 梓にこんな事をさせちゃいけないんだって。 私は唯と繋がれた右手の指先を動かして、唯に合図を送ろうと思った。 この件に関しては、私は梓に上手く伝えられそうにない。 これまで何度も伝え方を間違って来た私なんかじゃ、 また梓に哀しい想いをさせてしまうだけじゃないかって、そう思えて仕方ない。 だから、これは唯に伝えてもらうべきなんだ。 唯なら感性的な言葉にはなるだろうけど、上手く伝えられる気がする。 梓だって世話ばかり掛けてた私の言葉より、大好きな唯の言葉の方が嬉しいだろう。 私なんかより唯の言葉の方が……。 瞬間、私は指の動きを止めた。 いや……、駄目だよ。 唯の方が間違いなく上手に梓に想いを伝えられる。 そっちの方が梓だって喜ぶ。 それでも、それは絶対に駄目なんだ。 どんなに下手でも、私は自分の気持ちをちゃんと伝えなきゃいけないんだ。 それだけはこの世界に来て、私が学べたたった一つの事だと思うから……。 私は息を吸い込んで、梓に顔を向けて言うんだ。 「なあ、梓……」 「はい。何ですか、律先輩?」 梓が微笑みながら私の言葉に頷く。 ロンドンに転移させられてから、滅多に見れなくなってた梓の安心した微笑み。 ずっと見ていたかった。 ずっとその笑顔のままで居させてやりたかった。 でも、駄目なんだ。 梓の笑顔を奪う事になっちゃうとしても、これだけは私の口から伝えなきゃいけない。 唯が私を悲しませる事になるかもしれないって思いながらも、 私が投げ捨てたピックを見つけ出してくれたみたいに、私は同じ間違いを梓にさせちゃいけない。 「包帯……、ほどかないか?」 「えっ……?」 途端、梓の表情が悲しそうに歪んだ。 予想出来ていた事だったけど、その梓の表情を見るのは辛かった。 胸が痛かった。張り裂けそうなほどに痛かった。 やっと安心する方法を見つけられた梓を突き放すような事はしたくなかった。 だけど、こうしなきゃ、私も梓ももう戻れなくなるから。 元の世界に……じゃなくて、大切な仲間だった私達に戻れなくなるから。 私は……、続けるんだ。 「梓の気持ちは嬉しいし、分かるんだけどさ……。 でも、こういうのはよくないと思うんだよ、梓。 傍に居たいって気持ちは嬉しいよ? 私だってそうだし、でも……」 「そ、そうですよね!」 私が言葉を終えるより先に梓が言葉を重ねた。 悲しそうだった表情が、笑顔に戻ってる。 でも、鈍感な私にもはっきり分かった。 その梓の笑顔は、無理に浮かべてる笑顔なんだって。 そんな歪な笑顔を浮かべたまま、梓がまた早口で言った。 「先輩達も目を覚まされたわけですし、いつまでも繋いでるわけにもいきませんよね。 今、突然風が吹いても、すぐに手を繋ぎ合えばいいだけの事ですし……。 それにずっと包帯で繋いだままじゃ、手首が痛んじゃいますよね! すみません、そんな単純な事にも気付かなくて……。 じゃあ、すぐに包帯をほどきますから……」 言ってから、梓が私の手首の包帯をほどこうと左手を伸ばす。 私は唯の手と繋がれたままの右手を伸ばし、その梓の手の上に置いて言った。 「そうじゃない……。 そうじゃないんだよ、梓……。 皆の手を何かで繋ぐ事自体をやめないか? おまえの言う通り、包帯で手を繋いでたら、風が吹いても一緒に居られるかもしれない。 皆、ずっと傍に居られるかもしれない。 だけど……、でも、それはさ……、上手く言えないけど違うって思うんだよ。 私だって、唯だって、澪だって、ムギだって、皆と傍に居たいって思ってる。 おまえもそう思ってくれてるのは分かる。 でもさ、傍に居られればいいってわけじゃないはずなんだ。 ただ傍に居られたらそれでいいって……、そういうの……、何か私達じゃないだろ? 単に傍に居る事が大事なんじゃなくて……、その……何だ……」 上手く言葉に出来ない。 全然、思ってる事が伝えられない。 もっとちゃんと伝えたい事があるのに、私にはそれが出来てない。 素直になって、嘘を吐かずに真正面から梓に向き合ってみた所で、私にはこの程度の事しか出来ない。 悔しかった。 梓が大切だって事が上手く言葉にまとめられないのが辛かった。 私って奴は本当に何も出来てないな……。 でも、梓は微笑んだ。 微笑んで、私と梓を繋いでいた包帯をほどきながら喋る。 静かに、言葉をその口から出す。 「そう……ですよね……。 皆で傍に居ればそれで解決……ってわけじゃないですもんね……。 すみません……。 唯先輩が倒れて、私、神経質になってたのかも……。 妙な事をしてしまって、すみません、お二人とも……。 包帯で繋げばもう離れる事は無いんだって、 傍に居られるんだって、私、律先輩達の事を全然考えてなくて……。 ごめんなさい……、申し訳ないです……」 呟きながら、淡々と私と梓を繋いでいた包帯をほどいていく。 私達が傍に居るために必要だった包帯を……。 ほどいてしまったら、傍に居られなくなってしまうかもしれない包帯を……。 私の……、私の想いは少しでも梓に届いたんだろうか? 私の言いたかった事のほんの少しでも梓の胸に届いたんだろうか? 届いたからこそ、梓は私達を繋いでいた包帯をほどいてくれているんだろうか? いや、多分……、きっと……。 私は胸が激しく鼓動するのを感じながら、梓の震える手を自由になった左手で握ろうとした。 包帯が無くても、傍に居られるんだって事を伝えたかった。 それだけは伝えたかった。 でも、 その私の手は、 宙を舞って、 梓の手を掴む事が、 出来なかった。 梓の手が私の手を避けてしまったからだ。 拒絶されてしまったからだ。 いや、多分、違う。 私達に拒絶されてるって、私に思わせてしまったからだ。 やっぱり……、私の想いは上手く伝える事が出来なかったらしい……。 結局、こうなるのか、私は……。 私は胸が激しく痛むのを感じながら、 逸らしそうになってしまう視線をどうにか梓に向けて言った。 言わなきゃいけなかった。私達は梓を拒絶したわけじゃないんだって。 一緒に居たいからこそ、繋がれた状態で居たくなかったんだって。 「梓、誤解しないで聞いてくれ。 私達はおまえの事が大切で……」 「分かってます!」 私の言葉が梓の叫びに遮られた。 その悲痛な叫び声に遮られてしまった。 私が何を言うより先に梓が言葉を重ねていく。 「分かってます! 大丈夫です! 私、大丈夫です! 律先輩の言いたい事は分かってますから、平気です! 私……、甘えてたんですよね……? 甘えてしまってた……んですよね……? 律先輩達はそれが私のためにならないと思って、言ってくれたんですよね……? 私達は傍に居なくても大丈夫って事を信じるために、それが必要……な事なんですよね……? 離れてても仲間だって事を信じられる心の強さを……、持たなきゃ……いけないですよね……? 分かって……ます! 分かってます……から、私、大丈夫です! ほ、本当に大じょ……じょうぶで……ですか……ら……」 52
https://w.atwiki.jp/83452/pages/18228.html
言いながら、扉を開く。 扉の先ではムギが少しだけ申し訳なさそうに苦笑していた。 出会った頃はともかく、最近のムギがこんな表情を見せる事は少ない。 私は不安になって、声を低くして訊ねてみる。 「どうしたの? 何かあったのか?」 「ううん、ちょっと……。 それよりね、これをりっちゃんに見てほしいんだけど……」 頭を軽く振ってから、ムギが私に小さな何かを手渡した。 手のひらを開いて、私はその何かをまじまじと確認してみる。 見覚えのある『ひらめきはつめちゃん』のキーホルダー。 キーホルダーと繋がってるその鍵は間違いなく……。 「お、私の自転車の鍵じゃんか。 ありがとな、ムギが見つけてくれたのか? 何処にあったんだ?」 私が言うと、ムギはまた申し訳なさそうな顔で頷いた。 ムギは何も悪い事をしてないのに、 どうしてこんなに申し訳なさそうな顔をしてるんだろう。 それを訊ねるより先に、ムギが頭を下げて言った。 「ごめんね、りっちゃん……」 「何がだ?」 「私ね、お友達の家で一人で待ってるなんて事少なかったから、 はしゃいじゃって、色んな所を眺めさせてもらってたの……。 それでね、田井中家の鍵置き場みたいな所を見つけて、 覗いてみたらりっちゃんの自転車の鍵があったから、それで持って来たんだ。 りっちゃんの自転車の鍵なら何度か見た事があって覚えてたから……。 でも、ごめんね……、人の家をあれこれ探るなんて失礼だよね……」 言葉の後、ムギが落ち込んだみたいに縮こまる。 そんな事を申し訳なく思ってくれてたのか……。 でも、それも仕方が無い事なのかもしれない。 ムギは色んな事を知ってるけど、その代わりに色んな事に経験が無いんだ。 ムギは私達と会うまで、ファーストフードや泊まりがけの遊びや、 カラオケやゲームセンターや……、そんな当たり前の色んな事を知らなかった。 まだ私達が想像も出来ない未体験の何かがあるんだろうと思う。 ムギはそんなほとんどの事が未経験の中で、沢山の事を手探りで経験しようとしてる。 だから、ちょっとした事でも不安になって、ちょっとした事でも申し訳なく思っちゃうんだ。 まだ色んな事が分からなくて、不安なんだ。 世界や世間を精一杯体験して、吸収してる時期なんだ。 特に今は……、そうだな……。 多分、普段出来てた事が出来なくなっちゃってるから、余計に不安になってるんだろう。 「気にするなって、ムギ。 私はムギが自転車の鍵を見つけてくれて助かってるし、嬉しいよ。 居間の鍵置き場にあったなんて、私には想像も出来なかったしな。 下手すりゃずっと部屋の中を探してて、 長い時間、ムギを待たせる事になってたかもしれない。 そんな事になったら私だって気分が悪いよ。 だから、鍵を見つけてくれてありがとう、ムギ」 軽くムギの頭を撫でる。 こんな事でムギの不安を和らげてやれるかどうかは分からない。 でも、ムギはほっとした表情になって、微笑んでくれた。 「私の方こそ……、ありがとう、りっちゃん」 「おいおい、逆だろ、ムギ?」 「そうだよね、ふふっ……、何かおかしいね。 でもね、りっちゃんにありがとうって言いたい気持ちだったの」 「じゃあ、どういたしまして、かな? ありがとう、どういたしまして。 ……日本語として成立してない気がするが、ま、いいか」 私が笑うと、ムギも晴れやかに笑った。 少しだけ、不安を振り払ってあげられたのかもしれない。 これからまた何かがあったとしても、出来る限りはムギの不安を振り払ってやりたい。 悲しい事だけど、私は一つ思ってる事がある。 ムギはきっと完全には私達の絆を信じ切れてないんだと思う。 それはムギのせいじゃない。 どっちかと言うと、私達のせいかもしれない。 ムギはいつも皆に美味しいお菓子を食べさせてくれて、給仕までしてくれる。 それは純粋に嬉しい事で、私達はそんなムギに甘え切ってた。 ムギも楽しくて私達の給仕をやってくれてるはずだけど、 そのせいで今は普段以上に不安が増して来てるんだろうと思う。 理由は単純。 この世界から生き物が居なくなってから三日、 簡単には私達にお菓子を提供出来なくなったせいだ。 勿論、クッキーや飴なんかは大丈夫だけど、 冷蔵庫が使えなくなった上に夏の湿度のせいでケーキ系は全滅だった。 アイスクリームどころかチョコレートですら溶けちゃってる状況だしな。 だから、今の所、ムギは私達にあんまりお菓子を提供出来てない。 当然、私達がムギにお菓子だけを求めてるわけじゃない。 付き合いの浅い大学の友達にはそう見える事もあるみたいだけど、絶対にそんな事があるもんか。 お菓子をくれなくたって、私はムギと一緒に居たいし、一緒に遊びたいんだから。 勿論、澪や梓、お菓子に目が無い唯だってそう思ってるだろう。 だけど、大学の友達が遠くから見てて、 私達とムギの関係がお菓子ありきの関係に見えるって事は、そういう要素があるって事でもある。 もしかすると、私達が知らないだけで、 ムギはクラスメイトの冗談を聞く事があったのかもしれない。 「軽音部の皆って、ムギ本人よりムギのお菓子が目当てなんじゃないの?」って。 そんな他愛の無い冗談を。 勿論、それは単なる悪意の込められてない冗談だ。 そう見える事もあるから訊ねてみただけ、ってそれだけのはずだ。 でも、悪意が無くたって、冗談だって、傷付いちゃう事はある。 特に心の片隅で思わなくも無かった事を指摘されてしまったら、 本当にそうなのかもしれないって嫌でも考えてしまうものだから……。 だから、多分、ムギは今とても不安になってる。 今はまだ残りがあるから大丈夫だけど、 これから後、お菓子を完全に提供出来なくなってしまったら、 自分には存在価値が無くなるんじゃないか、って不安になってるんだ。 そんな不安があるから、小さな失敗でも気になり始めてるんだろうと思う。 何とかしてやりたいって思う。 その責任の一端は、ムギの好意に甘え切ってた私にもあるんだ。 ムギの不安をもっと和らげて、信じさせてあげたい。 何も持ってなくたって、私達は仲間で居られるんだって。 それが部長だった私に出来る最善の事だ。 私はもう一度だけムギの頭を撫でてから、出来る限り明るく言った。 「そういや、どうして鍵置き場に私の自転車の鍵があったんだ? これまで居間の鍵置き場に、自転車の鍵を置いた事は無かったはずなんだけど……。 家の何処かに落としてたから、母さんが鍵置き場に入れておいてくれたのかな? 本当、危うくムギを無駄に待たせちゃう所だったじゃんかよ……」 お菓子の事については触れなかった。 いきなりお菓子の話題になるのはあんまりにもわざとらし過ぎるし、 これからはお菓子以外の事でもムギに感謝してるって事を伝えてった方がいいと思ったからだ。 こんな時だからこそ、普段以上にムギの事を大切にしたい。 まだそんな私の気持ちは伝わってないだろうけど、ムギが笑顔で私の質問に応じてくれた。 「あ、それなんだけど、 私、りっちゃんのお家に入る前に気付いた事があるの。 多分、りっちゃんのお母さんの自転車だと思うんだけど、パンクしてたみたいだよ。 それでお母さん、今はりっちゃんの自転車を使ってるんじゃない?」 「あー……」 名推理に思わず納得してしまった。 大雑把に定評のあるうちの母さんだけに、間違いなくムギの言う通りだろう。 私が大学に入って以来、自宅の自転車は使ってなかったから、 ちょうどいいや、と思って、私の部屋から私の自転車の鍵を持ち出したんだろうな。 パンクくらい修理しろよ……、と思わなくもないけど、 私が母さんの立場なら同じ事をしてそうだから、簡単に文句は言えんな……。 しかし、母さんの自転車、パンクしてたのか……。 一瞬しか見てないはずなのに、そのムギの観察力には舌を巻く。 流石は名探偵ムギ。 『ごはんはおかず』の歌詞に見立てた連続失踪事件を解決出来る女……。 第一に消えたのは……、えーっと……、ごめん。 やっぱ『ごはんはおかず』を連続失踪事件に絡めるのは、私の発想力じゃ無理だ。 それより、参ったな……。 ムギには母さんの自転車に乗ってもらうつもりだったんだが……。 父さんは自転車持ってないし……。 こうなると私が聡のマウンテンバイクに乗って、ムギに私の自転車に乗ってもらうしかないか。 いや、別にムギがマウンテンバイクでもいいんだが、何か似合わないからな……。 とにかく聡のマウンテンバイクの鍵を探さなくちゃな。 よし、と呟いてから、私はムギの手を取った。 「じゃあ、聡の部屋に聡の自転車の鍵を探しに行くぞ、ムギ。 あいつも私と一緒で鍵置き場に鍵を置くタイプじゃないから、鍵は部屋に置いてあるはずだ。 一応聞いておくけど、聡の自転車の鍵、居間には無かったよな? 前見た時から変わってなけりゃ、あのキーホルダー……、ほら、あれだよ。 前ムギに貸した『はるみねーしょん』のキーホルダーが付いてるやつなんだけど……」 「うん、『はるみねーしょん』のキーホルダーは見当たらなかったはずだよ。 でも、りっちゃん……と言うか、田井中家の皆って大沖先生の漫画が好きなんだね。 お母さんの自転車の鍵にも、大沖先生の漫画のキーホルダーが付いてるみたいだったし」 「いやー、何故か家族全員ではまっちゃってさ。 『ひらめきはつめちゃん』と『はるみねーしょん』を見分けられるムギも相当なもんだと思うけど。 ま、とにかく聡の部屋に行こうぜ。 何処にあるかまでは見当も付かないけど、多分、探せばあるだろ」 「いいの? 聡くんの部屋に勝手に入っちゃっても。 りっちゃんはともかくとしても、私まで……」 「いいよ。聡の部屋に入るのは、姉である私が許可します。 女子大生が自分の部屋に入るなんて、男の子のロマンというものだぜ。 惜しむらくは部屋の持ち主本人が部屋に居ない事だが、それはノータッチの方向で。 まあ、聡だって、漫画取りに私の部屋に結構勝手に入ってるんだからな。 お互い様ってやつだ」 私が意地悪く笑ってみせると、急にムギが羨ましそうな顔を浮かべた。 遠い目をしながら、小さく呟く。 「弟かあ……。いいなあ……」 「そうか? 居たら居たでうるさいもんだよ?」 「それでも羨ましいな。 女の子同士の姉妹とは違った、新鮮な感覚になりそうだもん。 うるさいって言ってるけど、りっちゃんだって聡くんの事好きなんだよね?」 「いや、弟に好きとかそういう……」 言い掛けたけど、その言葉は止めた。 ムギが妙に真剣な視線を向けて来ていたからだ。 ムギにそんな真剣な表情をされちゃったら、私だって真剣に返すしかないじゃないか。 「……まあ、嫌いじゃない……かな」 私が呟くみたいに返すと、「よかった」とムギが笑った。 あんまり話した事は無いけど、ムギにも兄弟みたいな親戚でも居るんだろうか。 そのムギの表情からは、そんな誰かを失った寂しさが感じられる気がした。 寂しさ……か。 軽音部の皆が傍に居てくれてるおかげでもあるけど、 生き物が消えてしまってから、一番気に掛けてしまってるのは弟の聡の事だ。 うるさくて生意気なんだけど、やっぱり弟だからな……。 あいつが居ないと、寂しいし、辛い……よな。 だけど、それを口にするのは照れ臭かったし、 まだ聡を完全に失ってしまったとは考えたくなかった。 聡は何処かで元気に生きてる。 いつか……、いつか絶対、何処かで再会出来る……。 出来るはずだ……。 だから……、私は拳を振り上げて元気よく宣言してみせた。 「とにかく、聡の部屋で自転車の鍵を探すぞ! 名探偵ムギの事は頼りにしてるんだから、お願いしますよ、ムギ先生! 感覚を研ぎ澄まして、全身全霊全神経の捜査の始まりだ!」 「らじゃー!」 ムギが敬礼のポーズを取り、 それを見届けると、私はムギの手を引いて聡の部屋に向かった。 さて、捜査開始だ! 全身全霊全神経っつっても、しらみつぶしに探すだけなんだけど。 でも、自転車の鍵くらい、すぐに見つかるだろ、多分……。 ◎ 聡の部屋でマウンテンバイクの鍵はすぐに見つかった。 予想通りと言うべきか、聡の奴はズボンのポケットの中に鍵を入れたままにしていた。 こういう所、姉弟だな、って思う。 私も鍵をズボンに入れっ放しにしてる事って、結構あるからなあ……。 変な所だけ似てるもんだよな。 あんまり簡単に見つかったのがつまらなくて、 折角だから聡のベッドの下も何となく探してみたら、 何処で手に入れたのか分からないけど、エロエロな本が見つかった。 あの年でエロ本を手に入れるのは至難の技のはずなんだけど、 友達のコネか何かで頑張って入手したんだろう。 頑張ったな、若造。 それはいいんだが、隠し場所はもうちょっと工夫しようぜ、我が弟よ……。 多分、この場所だと、母さんもエロ本を隠してるの気付いてるぞ。 意外にも興味津々な様子のムギと一緒にエロ本を開いてみると、 パツキンのボインちゃんで脚がグンバツのチャンネーばかり載っていた。 言い方が古いかもしれんが、そうとしか言えない写真ばっかだったんだ。 何となく気になって発行日を見てみると、昭和六十二年と記されていた。 すげー古い……。 多分、頑張ったけど、これしか手に入らなかったんだろうな……。 弟の血の滲む努力の成果に、姉として何か泣けてくるぞ……。 勿論、ひょっとしたら単にこういうチャンネーが好きなだけかもしれないけど。 そうだとすると、私に対する悪意を感じないでもないな。 スタイルの良いボインのチャンネーが大好きとか、私への皮肉か。 どうせ私は男の子と間違えられる貧相な肉体だよ。 最近は梓にも胸のサイズで負けそうでマジで辛いんだよ……。 いつもじゃなくていいから、心の底では弟として私を応援してくれんか……。 そう思わなくもなかったけど、それはすぐに思い直した。 よく考えると、私と似たタイプを好みと考えられる方が遥かに困るな。 姉としてはそっちの方が複雑だ。 喜ぶべきなのか、怒るべきなのか、かなり判断に迷うぞ。 隠されてたエロ本が今あるボインちゃん本じゃなくて、 『貧乳お姉ちゃん特集』の本だったりしたら、私はどうすりゃいいんだ……。 そう考えると、聡の好みのタイプが貧乳じゃなかったってのは、逆によかったのかもな……。 いや、貧乳って言うな。 何とも複雑な気分になりながら、私は聡の机の中心にエロ本を置いておいた。 エロ本を見つけた時は、机の上に整理して置いておく。 これが世間一般の礼儀らしい。 漫画で読んだ知識なんだけど、一度はやってみたかったんだ。 ……とムギが言っていた。 何つーか、相変わらず知識が隔たってるよな、ムギは。 勿論、私にも別に異論は無かった。 聡の机の上にエロ本を置いてから、私達は名残惜しく聡の部屋を後にした。 名残惜しかったのは、当然だけど最後まで聡が姿を現さなかったからだ。 当然だけど……、仕方が無いけど……、でも、私は心の何処かで期待してた。 ムギも多分、期待してた。 エロ本を見つけた時に限って、都合よくそれを弟に目撃される。 そんなお約束な場面を心の何処かで期待してたんだ。 あるわけないのに、単なるお約束なのに、それでも……。 そんなのにすがり付きたいくらい、私は……。 でも、いつまでもすがり付いてたって、意味が無いって事も私達は分かってる。 だから、未来でいい。 出来る限り近い未来がいいんだけど、遠くたって構わない。 未来、聡が机の上のエロ本を見つけて、恥ずかしさで悶えてくれればいい。 それで私に文句を言いに来てくれれば嬉しい。 せめて、その願いくらいは叶ってほしい。 叶ってくれないと、悔し過ぎるじゃんか……。 悔しさを隠し切れないまま、私が母さんの自転車に乗り、 ムギが聡のマウンテンバイクに乗って、実家から飛び出していく。 最初は私が聡のマウンテンバイクに乗ろうかと思ってたんだけど、 ムギがマウンテンバイクに乗りたいみたいだったから、それはムギに譲った。 別に誰がどっちに乗ったっていいわけだしな。 まあ、ムギにマウンテンバイクってのは、究極的にミスマッチだけどさ。 私は自転車でムギの家に向かいながら、 何となく一つ馬鹿みたいな思い付きをムギに発案してみた。 「誰も居ないんだから、道路の真ん中を通ってムギんちまで行こうぜ」って、 そんな我ながら馬鹿馬鹿しい発案をしてみたんだ。 根が真面目なムギだけに、最初は複雑そうな表情をしてたけど、すぐに頷いてくれた。 「面白そう。折角だしやってみようよ」って言いながら、笑ってくれた。 ムギも私と同じに悔しかったんだと思う。 こんな状況になっちゃって、理不尽に巻き込まれて、 そんな現状に対して、何かの抵抗をしてやりたい気分だったんだろう。 これはまだ何も出来てない私達がやってやれる、小さな小さな反抗なんだ。 馬鹿みたいだけど、そんな悪ふざけでもしなけりゃ、やってけないよな……。 「行くぞ、ムギ!」 13
https://w.atwiki.jp/83452/pages/18260.html
ああ、もう、何をやってたんだ。 何をやってたんだよ、私は! 私は皆の未来を守るためって言って、自分の弱さから逃げるために思い出を捨てて。 それで、私の思い出を守りたかった唯にこんな行動を取らせる結果になって。 何だよ、もう……。何をやっちゃったんだ、私は……。 私のせいだ……。 私のせいで、私が弱かったせいで、私は唯に死を自覚させる事になったんだ。 体調を崩させたってだけじゃない。 苦しんでる私を、何をしたって救いたいって唯に思わせちゃったんだ。 例え自分の命を引き換えにしたって……。 自分が傷付く事より、私達が傷付く事の方に耐えられない奴なんだ、唯は。 「私……ね……?」 唯が優しい声色で穏やかに言葉を続けた。 穏やかな声が、逆に辛かった。 責められた方が何倍も楽だと思った。 でも、それは私の逃げだったし、楽になってもいけなかった。 私は息苦しさと強い胸の痛みに耐えながら、唯の顔に視線を向け続ける。 それだけが私に出来る事だったから……。 「私……、皆に会えて……嬉しかった……。 音楽に出会えたし……、皆のおかげで……ずっと楽しかったもん……。 皆の事が大好き……。 りっちゃんの事だって……大好き……だよ……。 大好きだから……ね……、嫌なんだ……。 これ以上、皆に嫌な思いを……させたくないんだ……よね。 私、嬉しかった……。 皆とまた遊べて、ライブをやろうって頑張れて、嬉しかった……。 傍に居てくれて……、すっごく嬉しかったんだよ……? だけど……、いつまでも我儘言ってちゃ、駄目だよね……? だから……、だからね……、もう……」 不意に唯の言葉が止まった。 聞いていて辛かった唯の言葉。 だけど、いつまでも聞いていたかった唯の声。 そう……、私達はまた唯とこうして話したくて、きっとこの世界に……。 でも、唯がその先の言葉を口から出す事は無かった。 苦しみ始めたからだ。 凄い汗を掻いて、呻き声を上げて、ベッドに転がってもがき始めたからだ。 まるで……、消える前の蝋燭の火みたいな、激しい苦しみ方で……。 いや……、違う! 何を考えてるんだ、私は! 何を考えちゃってるんだよ、私は! そんな事はさせてたまるか! 唯を絶対に死なせてたまるか! さっき唯は私の事を好きだと言った。 大好きだと言ってくれた。 私だって唯の事が大好きだ。 無茶苦茶な部だった私の軽音部にずっと居てくれて、私だって嬉しかったんだ。 大切な唯達を失いたくなかったから、思い出を捨てようと思ったんだ。 何よりも残された唯達を大切にしたかったんだ。 もし元の世界に戻れるとしたって、その世界に唯が居ないなんて……、意味が無い! 何の意味も無い! 死なせない……! 絶対に助けてみせる……! だけど……、私に何が出来る……? 私には何も出来ないんじゃないか? 看病なんてろくに出来ないし、私が今までやって来た事のほとんどが裏目だ。 決意も決心も、何もかもが皆を追い詰めるだけだった。 皆を傷付けるだけだった。 だったら、私はもう何もしない方が……? その方が……唯達のために……? でも、それじゃ、私は何のために今まで……。 いや、私の事よりも、今は苦しむ唯を救う方が先決で……。 堂々巡りだった。 こんな状態になって、私は自分に出来る事、出来た事がほとんど無かった事に気付く。 部長が聞いて呆れる。 皆の足を引っ張ってばっかりだ。 足手纏いになりたくて、逆に足手纏いになってしまってる。 完全に単なる間抜けでしかない私……。 だけど、立ち止まってるわけにもいかなかった。 私には何も出来ないけど、何も出来ないなりにやらなきゃいけない事がある。 私は強く唯の手を握る。 「唯……、おまえは治る……! 元気になるって信じろ……! 治ったら話したい事がある。 文句を言ってやりたい事もいっぱいある……! だから……、死ぬなんて……、もう言わないでくれ……!」 私に言える精一杯の言葉を伝える。 今の唯にどれだけ私の言葉が届いたか分からない。 届いてなくたって構わない。 私の言葉を届けようと思えた。今の所はそれだけで十分だ。 届けたかった言葉は、いつかまた必ず届けてみせる……。 頷くと、私は大きく息を吸い込んでから、大声で叫んだ。 「ムギぃ! 梓ぁ! 唯の体調が急変した! 頼む! 今すぐ来てくれえっ!」 叫んでいる間も、私は唯の手を強く握り続けた。 この先、唯の手の熱さと私の唯達への想いを絶対に忘れないように。 それが何も出来ない私に出来る最後の抵抗だ。 ◎ 隣の部屋で休んでいたムギと梓はすぐに駆け付けてくれた。 オレンジジュースを取りに行っていった澪も、 私の叫び声が聞こえたようですぐに部屋に入って来た。 いや、澪は部屋の外で私達の話が終わるのを待ってくれていたみたいだ。 この世界に取り残された五人が部屋の中に集まる。 唯が私達が集まった事に気付いているのかどうかは分からなかった。 目を瞑り、ただ呻き声を上げて、苦しんでいる。 唯のその様子を見ているのは辛かったけど、 私はその唯から目を逸らさずに、唯の様子を見るムギに訊ねた。 「どうだ、ムギ……? 唯の様子はどうなってる? 風邪が悪化した……って感じか?」 ムギは心配そうな表情を浮かべ、ゆっくり首を横に振った。 それから、小さく呟くみたいに答えてくれる。 「ごめんね……、分からないの……。 熱は計ってみたけど、そんなに上がってはいないみたい。 多分、疲れが溜まってた分が出ちゃっただけだとは思う……。 安心出来る状態ってわけじゃないけどね……」 「で、でも、唯先輩、こんなに苦しそうじゃないですかっ?」 梓が小さく叫んだけど、 すぐ後にはっとしたように「すみません」と謝った。 ムギに叫んでも仕方が無いって事は梓だってよく分かってるんだろう。 でも、分かってても叫ばずにいられない気持ちもよく分かる。 ムギは梓の叫びを悪く思ったわけでもなさそうで、また言葉を続けた。 「そうなの……、梓ちゃんの言う通りなの……。 病状が悪化してるはずないのに、まるで体調だけ悪化してるみたい。 何だかね……、症状こそ風邪に似てるんだけど、 唯ちゃん、本当に風邪なのかなって私、思うんだ……。 ねえ、皆? 唯ちゃんがこうなってから、咳やくしゃみを出してる所、見た事ある?」 ムギの突然の質問に皆で顔を見合わせる。 しばらく経ったけど、それには誰も名乗り出なかった。 そう言えば、私も唯の体調が崩れてから唯の風邪の症状を見た事が無い。 ただ熱が高くて、苦しんでるだけだ。 いや、ただ……ってレベルでもないのは分かってはいるんだけど。 でも、唯の風邪と言えばくしゃみのイメージがあるし、 その唯がこんな状態で一回もくしゃみをしてないなんておかしくないだろうか? 風邪じゃないって事なんだろうか? そこまで考えて、不意に私は思い付いた。 現実離れした考えだったけど、今更現実離れしてたって誰も気にしないだろう。 この世界は誰かの夢の中の世界で、多分、それは唯の夢のはずだ。 世界は夢だ。 でも、ここに居て、物を考えてる私達はどうなんだろう? 少なくとも、私は私や唯、ムギ達が唯の夢の産物とは思えない。 私達は確かに生きてる。生きて、考えてる。 他の物が全部夢だとしても、私達の心だけは本当の物のはずだ。 心だけは本当なんだ。 本当だから、苦しんでるんだ。 だけど……、ひょっとしたら……。 そう思った瞬間、辛そうな表情の梓の顔が視界に入った。 真っ黒に日焼けした梓の顔……。 気が付けば私はその梓の頬に手を伸ばして触れていた。 「律先輩……? な……、何なんですか、こんな時に……」 梓が複雑そうな表情をしながら呟いて、 それど私は自分のやってしまった事に気付いて「悪い」と素直に謝った。 だけど、正直、私の頭の中はそれどころじゃなかった。 そうだ……。 私達の心は本物だ。確証は無いけど、そうだって思える。 でも、私達の身体はどうだ? この世界の構成物質が夢だとしたら、 私達の身体の抗生物質も夢だとしても全然おかしくない。 私達の身体が誰かの夢だって証拠の一つが梓の日焼けだ。 日本の夏よりもずっと涼しいロンドンに転移させられて一週間も経つのに、梓の日焼けは全然治ってない。 すぐ真っ白に戻る新陳代謝のくせに、今回だけ梓の日焼けは治らない。 それこそ、梓の身体も誰かの夢で構成されてるって証拠じゃないだろうか。 それを伝えていいものなのかどうかは迷った。 そもそもこの世界が誰かの夢だとは確定してない。 唯の夢だなんて、確定したわけじゃない。 それに唯は私だけにその話をしたんだ。 約束をしたわけじゃないけと、私と唯だけの内緒の話にしてほしかったんだろうと思う。 もしかすると、自分が死んだ時に誰も悲しませないために。 元の世界に戻った澪達が、唯が死んだおかげで元の世界に戻れたって事に気付いて傷付かないために。 唯の気持ちは痛いほど分かる。 私だって、唯と同じ状況ならそうしてたかもしれない。 だけど、思った。 今の唯と私の状況が逆だったなら、唯はきっとこうするだろうと思った。 もしもこの世界が私の夢で、私が唯だけにそれを打ち明けていたなら、こうしたはずなんだ。 心の何処かでこうしてほしかったはずなんだ。 だから、私は皆に全てを打ち明ける事にしたんだ。 後で唯にどれだけ怒られたって構わない。 これも私と唯の選びたかった選択肢なんだろうから。 「なあ、皆、聞いてくれるか? 突然だけど、この世界の事についてなんだ。 唯の体調にも関係してくる話だから、落ち着いて聞いてほしい。 唯と話し合ってて思い出した事があるんだ。実は……」 私は、話した。 私の思い出した曖昧な記憶の事を。 あの夏休みの日、私達は確かに梓達のライブを観た事。 その後で私達も演奏をした事。 大成功とは言わないまでも、それなりの満足感を持って、 さわちゃん、菫ちゃん、奥田さんを含める皆で一緒にいつもの帰り道を帰っていた事。 そして……、私達の家路の別れ道のあの横断歩道で……、確かに何かが起こった事を。 事件なんだか事故なんだかはまだはっきりしないんだけど、私達はそれで大怪我をしたはずなんだ。 私達の怪我は命に関わるような怪我じゃなかったと思う。 だけど、唯だけは……、違った。 唯は病室に横たわっていて、目も開かずにいくつものチューブやコードに繋がれていて……。 それはまるで、体調を崩して寝込んでいる今の唯みたいな状態で……。 それで、唯も、私も、少しずつ思い出して、気付き始めたんだ。 この世界が本当に夢だとして、この世界が誰の夢で、何のための夢だったのかって。 そう、私達はきっと、傍に居たかったんだ。 始まりはそれだけだったんだ。 「そんな……」 私が唯が自分が死について話した事以外について語り終わると、 梓が動揺した表情を見せて呟き、澪が梓を気遣ってその肩を軽く抱いた。 ムギはただ真剣な表情で唯と私を交互に見ている。 「やっぱり……、この世界は誰かの夢って事でよかったのか?」 澪が梓の肩を抱きながら私に強い視線を向ける。 この世界が誰かの夢だって強く疑ってたのは、和と澪だ。 和が居ない以上、この世界について一番考えられるのは自分だけ。 自分こそが、この世界の真実を考えなきゃいけない。 そういう意志の強さが見える澪の視線だった。 私は気圧されそうな気持ちになりながら、それでも頷いた。 「完全に決まったわけじゃないよ、澪。 まだまだ分かんない事だらけだからな。 でも、多分……、そうだと思う。 私と唯が少しずつ思い出して来た記憶の事もそうなんだけど、そう考えると辻褄が合う事も多いんだよ。 ロンドンの中途半端な気候、日本じゃ見えないはずの南十字星、 あの公園にあるはずなのに無くなってたでかい樹、治らない梓の日焼け、他にも色々……。 この世界は夢……、誰かの思い出のイメージなんだ。 それでその誰かって言うのは……」 「唯ちゃん……なの……?」 ムギが唯の手を取りながら、静かに呟いた。 その声色からは、ムギがどんな感情を持っているのかまでは読み取れなかった。 私はムギの肩に手を置いてから続ける。 「ああ……、そう……だと思う。 この世界が誰かの夢だって決まったわけじゃない。 でも、この世界が誰かの夢だとしたなら、それは間違いなく唯の夢だよ。 色んな状況がそれを示してるし、唯自身も自覚し始めたみたいだった。 それに……」 一瞬、私はそれ以上の言葉を出すのを躊躇った。 まだはっきりしない記憶を口に出すのもどうかと思ったし、 それ以上にその記憶をはっきり断定させるのが怖かった。 あの日、私達は大怪我をした。したはずだ。 怪我をした箇所は、私は右腕、ムギも右腕で、澪は左脚、梓が肋骨。 そして……、唯が……。 唯……が……。 「私……、本当はね……」 不意にムギが静かに語り始めた。 口を挟めるような様子じゃなかった。 私は……、私達はじっとムギの次の言葉を待った。 三十秒くらい経っただろうか。 ムギが決心した表情でまた言葉を出した。 「何度か……、夢で見てたの……。 世界から皆が居なくなっちゃってすぐの頃からかな……。 皆がね……、大怪我をしてね……、 血まみれでね、倒れててね……、凄く……凄く怖い夢でね……。 それで……、それで唯ちゃんが病院のベッドに……、ベッドに居てね……。 私……怖くて、でも、夢の話だから、皆に言い出せなくて……。 ごめん……、皆……」 決心した表情だったけど、ムギの肩は震えていた。 言葉にする度に、夢の恐怖を思い出してるんだろう。 それを必死に抑えてるんだ……。 私はそんな夢を見た事は無かったけど、 個人それぞれで記憶の残り方が違ってるって事なんだろうと思う。 でも、なるほどな、って思った。 やっぱり、ムギは私達に何が起こったのかを、夢に見る事で何となく思い出してたんだ。 それで私達の中で一番この世界を怖がってたんだろうな……。 ムギの肩は長い間震えていた。 ひょっとすると、泣き出しているのかもしれない。 ムギはずっと私達の事を心配してくれていた。 誰かが死んでしまう事を嫌がっていた。 だから、自分が見た夢を現実に起こった事だと思いたくないんだろうと思う。 私だってそうだ。 私が思い出した過去の方が、本当の意味での夢だったらどんなにいいだろう。 どんなに幸せだろう。 でも……。 唯がこんな状態になってる以上、もう目を逸らしてるわけにもいかなかった。 目を逸らしてたら、今度こそ本当に手遅れになる。 もう手遅れになってしまうのは嫌だ。 絶対に……、嫌だ……! もう……、仲間達を失いたくない……! だから、私は自分が震えてるのが分かりながらも、何とか言葉を口に出した。 「唯は病室のベッドに横たわってた……。 悲しそうな表情の憂ちゃんや和達が唯を見てた……。 それを私達が遠巻きに見てた……。 そこまでは思い出した。思い出したんだ。 それで……、唯がベッドで寝てる理由も思い出したよ。 唯は怪我をしたんだ。とんでもない大怪我を。 頭に……さ」 頭……。 そう、頭だ。 私達が大怪我をした時、唯は私達と同じく、 そして、よりにもよって頭を大怪我したんだ。 だから、唯はベッドの上にずっと横たわってたんだ。 横たえられていたんだ。 脳死……、ではなかったと思う。 まだ思い出せてないだけかもしれないけど、脳死じゃかったはずだ。 だけど、唯は目を覚まさなかった。 頭の何処かに大きな損傷を負ったって話を聞いた記憶はある。 これから目を覚ますかどうかわからないらしいわ……、 って、そう悲しそうに呟く和の表情だけはしっかり思い出した。 私達はそれが嫌だった。 脳死でないにしても、唯が目を覚まさないなんて耐えられなかった。 また唯と話したかった。笑いたかった。演奏したかった。 どうにかしてまた一緒に居たかった。 傍に……、居たかったんだ……。 そうして、私達の願いは叶った。 何がどんな作用を起こしたのか。 何でこんな状態になってるのか。 その辺りはまだ何も分からないけど、とにかく夢は叶ったんだ。 叶って……しまったんだ……。 それがよかったのかどうかは……、私にもまだ……、分からない。 しばらく沈黙が部屋の中を包んだ。 聞こえるのは苦しそうな唯の呻き声だけ。 沈黙してる場合じゃないのは分かってたけど、 何をどうしたらいいのか、その解決の糸口も掴めてなかったからだ。 「あ、あの……」 少し呆然とした様子ながら、梓が呟き出した。 何か考えた事があるんだろう。 「どうした?」と私は梓に訊ねてみる。 「はい……。 この世界が唯先輩の夢だって言うのは……、 あの……、私も何となく分かるんです……。 律先輩もおっしゃってましたけど、こんなに日焼けが治らないのなんて初めてで……、 もしかしたら私の身体は本当の私の身体じゃないんじゃないかって、そう思わなくもなかったんです。 唯先輩の私に対するイメージが、私の身体を作り上げたってそんな気も……します……。 ですけど……、どうして……、 どうしてこんな事が起こってるんでしょうか……? 私、怪我の記憶はあんまり無いんですけど、 律先輩の言う事が事実だとしたら、私、この世界に来れて嬉しいです。 唯先輩が……、目を覚まさないなんて嫌です……。 傍に居て、笑っていてほしいです……。 だけど……、どうしてこんな不思議な事が起こってるんでしょうか。 あの……、もしかして……、ひょっとしたら、唯先輩が……。 いえ、でも……」 45
https://w.atwiki.jp/83452/pages/18237.html
「私達の新ユニット名……、 それは『ほうかごガールズ』だ! 和の案はマークとして採用させてもらう事にするぞ! これで残った三票中二票だ! マークとして考えると『わかばティータイム』の方が正しいが、 語呂が悪いし、梓の案を無駄にするわけにもいかないからな!」 「やっぱりいっ!」 エコーでも掛かりそうな梓の大声が音楽室に響く。 分かっていた反応だったが、許せ、梓。 これが一番いい形なのだ。 梓が私の左腕を掴み、必死な形相を浮かべてまた叫ぶ。 顔どころか耳まで真っ赤だ。 「私の案なんて無駄にしてくれてもいいですって! それにさっき律先輩、その名前は駄目だって言ってたじゃないですかっ!」 「いやいや、よく思い出すんだ、梓。 『おもいだす』コマンドを使って、よーく思い出すんだ。 私はまんまかよって言っただけだ。 駄目だとは一言も言っていないぞ!」 「何ですか、『おもいだす』コマンドって……。 えーっと、えーっと……!」 私に言われ、律義に梓が私の言葉を思い出そうと頭を捻り始める。 ふふふ、愛い奴じゃ。 しかし、それこそ私が狙っていた展開だと気付かなかったようだな、梓くん! 私は右手を頭の上に掲げると、早口に宣言してやる。 「新ユニットの名前、『ほうかごガールズ』でいいと思う人っ! はいっ!」 「んもうっ! ずるいっ!」 その梓の言葉は一瞬だけ遅かった。 既にニマリと笑った純ちゃんと真顔の和が手を挙げていた。 「私も賛成しますっ!」 「マークを採用してもらえてるわけだし、異論は無いわ」 純ちゃんと和の言葉に追い込まれる梓。 これで三対一だ。 多数決としては決まってるんだけど、梓は諦めなかった。 すがるような視線を憂ちゃんに向ける。 ぶっちゃけ、それをやられると私としては弱かった。 三対一ではあるけど、その内の二票はさっき私が無効票って言った票なんだ。 梓がそれに気付き、憂ちゃんに反対票を投じさせると私達は逆転されてしまう。 でも、そうはならないでほしかった。 そのまんま過ぎるけど、『ほうかごガールズ』って名前は実は好きなんだ。 特に梓が苦肉の策でほうかごを平仮名にしたってのが可愛らしい。 いい名前だって思うんだ。 全員から視線を向けられる憂ちゃん。 私の左腕から憂ちゃんの肩に手を置き直し、梓が必死に説得を始める。 「もっといい名前があると思うよね、憂っ? 憂の案もまだ聞いてないし、 憂の考えたユニット名も聞いておかないといけないよねっ? ほらっ、憂の案を皆に教えてあげてっ!」 「えっと……ね……」 困った顔で憂ちゃんが呟く。 ここまで慌てた姿の梓が見せる事は少ないから、戸惑ってるんだろう。 数秒躊躇って、憂ちゃんが左手を挙げた。 「ごめんね、梓ちゃん……。 私も『ほうかごガールズ』って素敵な名前だと思うの。 妙に凝った名前より、『ほうかごガールズ』の方がお姉ちゃん達も喜ぶと思うんだ。 だから、律さん……。 私も『ほうかごガールズ』に一票入れたいです!」 「よし、決定だっ! これからは私が……、私達が……、『ほうかごガールズ』だ!」 「えええええええええええええっ!」 私が拳を握って宣言すると、 梓は茹でた蛸みたいに顔を真紅に染め、また大声で叫んだ。 こうして、私達の新ユニット名は『ほうかごガールズ』に決まったのだった。 いよいよ活動開始ってわけだ。 ちなみに。 後で聞いたんだけど、 憂ちゃんが考えていたユニット名は『ジャンル』だったんだそうだ。 純、梓、和、律、憂をローマ字に変換して、 JUN、AZUSA、NODOKA、RITSU、UIの頭文字を取って『JANRU』なんだとか。 やっぱ一番凝ってる名前だよな、憂ちゃん……。 流石だ……。 ◎ 唯と澪が風呂後の散歩から戻り、 最後に残っていた私と和が風呂に入る事になった。 一瞬でも早く澪達に新ユニットの事と、 新ユニットで行うライブの事を伝えたかったけど、それはどうにか我慢した。 それぞれの先輩に一人ずつから伝えましょう。 そっちの方がカッコいいので。 澪達が戻る前、そう言っていたのは純ちゃんだった。 どうも純ちゃんって、そういうカッコよさにこだわる子なんだよな。 勿論、それに反対意見があるわけじゃない。 皆、嬉しそうにその純ちゃんの案に賛成した。 唯には憂ちゃんから、ムギには梓から、そして、澪には私から。 三人が、三人に伝えようと思う。 皆、多分、私の事をずるいって言うだろう。 唯なんかは頬を膨らませて、 「どうしてりっちゃんだけ」って言いながら、ポカポカ私の胸を叩くかもしれない。 でも、こればかりはどうにもならない事だ。 何しろ私達八人の中でドラムが出来るのは私だけなんだからな。 そんな感じに、ドラムスってのは必然的にどんなバンドにも入れるようになるもんなんだ。 ふふふ、自分達がメジャーな楽器を選んだ事を後悔するがいい。 それは単にドラムス人口が少なめっていう悲しい現実があるからだけど、 今は純粋にドラムって楽器の演奏を選んだ昔の自分に感謝したい。 こんな時にでも出来る事があった。 たまたまなんだろうけど、それが出来るようになった。 本当に嬉しい。 絶対最高のライブを届けなきゃって思う。 「キーボード……か」 五右衛門風呂の湯船(で、いいんだろうか?)に浸かりながら、和が独り言みたいに呟いた。 多分、独り言だったんだろうと思う。 和の視線は私の方に向いてなかったし、 その声は誰かに伝えようと思って出された声には聞こえなかった。 でも、私はその独り言を拾って返した。 「和、ごめ……」 ごめんな、って言いそうになって、ギリギリで言い留めた。 今はごめんって言うより、もっとふさわしい言葉があるはずだ。 小さく深呼吸してから、私は言い直す。 「ありがとな、和。 キーボード、引き受けてくれてさ」 少し照れ臭かったけど、それはもう一度和に伝えるべき言葉だった。 正直、和には感謝してもし切れない。 元からドラムスの私はともかく、和の方は完全に素人なんだ。 憂ちゃんの話を聞く限りじゃ、 幼い頃にはピアノが弾けてたみたいだけど、それにしたって相当昔の話だろう。 だから、和には本当に感謝してるんだ。 妙に真剣な視線を向けてしまったせいだろう。 和が小さく微笑んで目を細めた。 目を細めたのは、眼鏡を外してて私の顔がよく見えてなかったからだろう。 「いいのよ、律。 引き受けたのは私なんだし、私だって唯達……、 それに憂達の力になりたいって思ってたのは事実なんだもの。 律にはその機会を与えてもらえて、感謝してるわ。 私一人じゃ、自分が憂達のバンドのメンバーになるなんて事、絶対に思い付けなかったから」 「そりゃ、まあ……、普通は思い付かないよな……」 つい苦笑してしまう。 我ながら無茶な事を言ったもんだ。 しかも、バンドを組むだけなら、実はキーボードは要らなかったんだよな。 梓からのメールに書いてあった事なんだけど、 どうもわかばガールズにはキーボードのパートが居ないらしい。 つまり、わかばガールズの手助けをするってだけなら、本当は私一人で十分だった。 でも、私がパッと浮かぶバンドにはキーボードが居たし、 一度、和と演奏してみたいって気持ちも随分前からあった。 そういや、かなり前、軽音部存亡の危機があった時、 唯が和を軽音部に引き込もうとした事があったよな。 あの時のあれは冗談ではあったけど、 和も軽音部に入ってくれたらな、って私は結構本気で思った。 パートに空きがあるわけじゃない。 でも、和とは一回一緒に演奏してみたかった。 何ならボーカルでもいいから、とにかく参加してほしかったんだ。 私達の楽しい気持ちを、和と共有したかったんだよな。 ボーカルと言えば、 そういや、ほうかごガールズのボーカル、決めてなかったな。 まあ……、多分、梓で大丈夫だろう。 歌はそんなに得意じゃないらしいが、 特訓してるって話を憂ちゃんから聞いた事もある。 何だったらコーラスくらい付き合って……、 いや、考えてみたら、あの曲には私も歌で参加しなきゃいけないのか。 うわっ、今更だと思うけど、何か照れ臭いな……。 でも、照れ臭さや緊張で言ったら、 私のなんて和の数分の一にも至ってないだろう。 『感謝してる』って話してくれながらも、和の表情はやっぱり少し不安そうだ。 私は五右衛門風呂に漬けていた腕を出すと、和の頭に軽く手を置いた。 「私こそすっごく感謝してるよ、和。 私の無茶振りに付き合ってくれて、本当にありがとう。 練習、本気で付き合うよ。 弾けるってわけじゃないけど、知識としてならそこそこある。 発案者なんだもんな。和が嫌って言うくらい、つきっきりで練習に付き合う」 「練習に付き合ってくれるのは助かるんだけど、 私が嫌って言ったら、流石に離れてくれないかしら?」 「ははっ、そりゃそうか」 「そうよ」 私が笑うと、和も笑ってくれた。 眩しい笑顔のまま、和が続ける。 「ねえ、律。 私ね、実はもう緊張してるの。 生徒会の会長を務めて、全校集会にも何度も出たし、 卒業生代表の言葉も務めたのに、そういう緊張とは全然違うのね……。 唯や律達はずっとこんな緊張と付き合って来たのね……。 正直、尊敬するわ」 「それは仕方無いよ、和。 特に和は初ライブなんだし、初めてってのは誰だって緊張するもんだ。 私だって初ライブの時は結構緊張してたんだぜ?」 「そうなんだ。 澪はともかく、律達はいつもと変わらなかったから、 緊張してないように見えたんだけど、そういうわけじゃなかったのね」 「強がってただけだよ。 特にさ、澪の次に緊張してたのは私だったと思う。 ムギは落ち着いてたし、唯は楽しそうだったしな。 だから、和も大丈夫。 和はライブじゃないけど人前に出る場数は踏んでるんだし、 今はまだ練習してないから、不安になっちゃってるだけだよ」 「そうね……。 私は律ほどヘタレじゃないから大丈夫よね」 「そうだな……って、うおいっ、真鍋ー!」 和が軽口を叩き、私は和の後ろからチョークを掛ける。 和は笑顔で私の腕をタップしたけど、もう少しだけ解放してやらない。 しかし、まさか和の口からヘタレって言葉が出るとは思わなかった。 自分でもヘタレの自覚は結構あるけど、和に言われるのは意外だった。 しっかりしてるけど、結構普通な所もあるんだよな、和って。 前に「マジで!?」とか言ってたしな。 二人で顔を近付けて笑う。 そういや、和にチョークスリーパーを掛けるのは初めてだ。 一緒に風呂に入るのも初めてだよな。 私と和は友達だけど、何故かそういう一線があった。 いや……、ひょっとすると私のせい……かな……。 和は誰にでも優しくて、澪にも優しくて、 私にはそれが嫌だった時期があったんだよな。 あの時の事は解決したけど、私の心の底では遠慮があったのかもしれない。 だから、和ともっと仲良くなるきっかけが掴めなかった気がする。 勿体無い事をしたな、って思う。 和はいい奴なのに、楽しい奴なのに、 大学も別になって、どんどん疎遠になってしまう所だった。 下手をすると、同窓会か誰かの結婚式でしか会わない仲になってたかもしれない。 よかった……。 そんなに疎遠になる前に、勢いだけど和と新ユニットを組めてよかった……。 新ユニットのライブを成功出来れば、 きっと私は和と本当の親友になれる気がする。 ただの親友じゃなくて、離れてても心から信頼し合える親友に……。 そのためにも、私はライブを成功させるんだ。 と。 不意に和がまた不安そうな表情を浮かべた。 私は和の首に回していた腕を離し、真剣な顔になって訊ねる。 「どうしたんだ、和? まだ何か心配事があるのか……?」 「そうね……。 ムギに悪い気がして……、ちょっとね……。 本来、キーボードはムギのパートでしょ? 私ね、律にキーボードに誘ってもらえたのは、勿論、嬉しいわ。 自信は無いけど、頑張りたいって思ってる。 皆を楽しい気持ちにさせてあげられるなら、私だって何でもしたいわ。 でもね、ムギも同じ気持ちだったんじゃないかって思えるのよ。 ムギも音楽で誰かを楽しませたいって思ってたはずなのよ」 「そうだな……」と私は頷いた。 ムギは今日、自宅まで電池を取りに行った。 勿論、今後の事を考えての行動でもあるんだろうけど、 何よりも自分のキーボードを演奏するための行動だったはずだ。 ムギだって演奏したかったんだ。 だから、ほうかごガールズに参加出来る私を、ずるいって思う事もあるはずだ。 でも、「大丈夫だよ」って私は和に言った。 「大丈夫だよ、和。 ムギはきっと分かってくれると思う。 ムギは皆の気持ちを分かってくれてる、私達の大切なキーボードなんだ。 私達の気持ち、きっと分かってくれると思う。 そんな事は無いと思うけど、 もし怒られたら、私が何度だって頭を下げて謝るよ。 元の世界に戻れたら、ムギの望む事を何だってしてあげるつもりだぜ?」 「そうよね……。 ムギは私達の気持ちを分かってくれる子だものね……」 そう言いながらも、和の表情はまだ晴れなかった。 ムギの事は信頼してると思う。 私の言ってる事も……。 つまり、ムギの事以外で、和は不安を感じてしまってるんだ。 こんな時に他に不安になる理由なんて、当然だけど一つしか無かった。 和が静かに口を開く。 「元の世界……。 律は……、私達が元の生活に戻れると思う……?」 絶対に戻れる! とは自信を持って口に出せなかった。 今朝だって冷静だった和が、不安そうな口振りでそう言うんだ。 それだけの理由があるんだと思えた。 私達と別れた間に、何か新しい気付きがあったのかもしれない。 ただ、澪と憂ちゃんの様子を見る限り、 それに気付いてるのはまだ和だけらしかった。 つまり、私とムギが皆に内緒にしてる事があるように、 和も皆に内緒にしてる……、内緒にしなきゃいけない何かを抱えてるんだろう。 その何かを聞くより先に、私は和に今日の昼に起こった事を伝えた。 突然、生き物の姿が見えるようになった事。 晶といちごの姿を見つけた事。 道路の真ん中を自転車で走っていたせいで、ムギがトラックに轢かれそうになった事。 一瞬にして、また生き物の姿が消えてしまった事。 そこが私達の普段使う待ち合わせ場所の横断歩道の前だった事。 全てをそのままに伝えた。 和がどんな重い隠し事をしてるにしろ、 これを伝えれば少しは希望を持てるようになるはずだって信じてたからだ。 少なくとも、人の姿が見えたって事は、 多少は現状の打破のために前進出来たって事で間違いないはずだから。 だけど……。 私の話を聞いた和は、余計にその表情を沈めた。 私の願いは、打ち砕かれてしまったようだった。 22
https://w.atwiki.jp/83452/pages/18276.html
私と梓の波状攻撃に唯は拗ねたみたいになりながらも、笑ってくれていた。 やり方はちょっとずるかったけど、唯には笑っていてほしかった。 澪の推論が正しければ、私達は夢の中とは言え、 目を覚まさなかった唯とやっと再会出来たって事なんだ。 せめて唯には笑っていてほしいし、私だって笑っていてやりたい。 私達のやり取りを見ていて肩の力が抜けたんだろう。 澪がちょっと呆れたみたいな表情を浮かべて、でも少しだけ笑いながら続けた。 「脳波と思考回路はほとんど関係ないらしいから心配するな。 まあ、ずっと一緒に居たから、皆の考え方が似通って来たってのは否定しないけどさ。 でも、多分、そういう事なんだろうと思うよ。 私達はいつの間にか似た脳波を持つようになってたんだ。 血の繋がった妹の憂ちゃんより、幼馴染みの和よりもずっと近い脳波を……。 そう考えるのには、もう一つ理由があるんだ。それは……」 「音楽……だよね?」 ムギが微笑みながら澪に訊ねる。 澪はちょっとだけ驚いた顔を浮かべたけど、すぐに頷いた。 「ああ、ムギの言う通りだ。音楽だよ。 私、この夢のそもそもの根本には、音楽が関係してる気がするんだよ。 皆……、思い出したくもないだろうけど、 和達が私達の前から消えた時の事を思い出してくれないか? あの時……、私達は何をしようとしてた?」 「……ライブだ。 そうだよ、ライブだよ。あの時、私達はライブをしようとしてたんだ……。 音楽を……、始めようとしてた……」 思い出しながら私は呟く。 その後に起こった事のせいで、すっかり忘れちゃってたみたいだ。 私達がライブをしようとした時に、和達の姿が消えてしまったって事を。 私が続けるより先に、私の言葉はムギが継いでくれた。 「ねえ、澪ちゃん……? 傍で同じ行動をしてると皆の脳波が似通って来るんだよね……? だったら、ただ部活をするよりも、もっと皆の脳波が近付ける事があるよね? 私達だからこそ、そうなる原因がある……よね?」 「ああ、ムギの言う通りだよ。 そう。セッションだ。 セッションをしてる時、私達の脳波や想いは物凄く近くなってたと思う。 それこそ、血を分けた家族よりも気持ちを共有してたんだ。 音楽にはそういう力があるんだって私は思う。 ロンドンに転移させられる直前、私達はライブをしようとしてた。 演奏しようとしてたのは律達のバンドだったけど、 私達だって律達の演奏の後で新曲を披露するつもりだった。 多分、五人とも、今まで何度も重ねた五人での演奏の事を考えてたはずだ。 皆の想いがライブに向けて共鳴してたんだ。 それで……」 「一緒に新バンドを組んではいたけど、 まだ私達ほど脳波が近いわけじゃない純達がこの世界から弾かれた……って事でしょうか」 梓が少し辛そうに呟いて、澪がその梓の頭を軽く撫でた。 その行為は梓の言葉が間違ってない事を意味しているみたいだった。 数秒くらい撫でてから、また澪が静かに続ける。 「梓の言う通りだと私も思う。 これも私の推測でしかないんだけど、 唯は一番最初、唯と一緒に怪我をした皆を夢の世界に引き込んだんだと思う。 怪我をして辛い、悲しい、唯とまた話をしたい、って思ってた七人を。 でも、ライブをする事になって、唯はライブの事を一番に考えるようになった。 辛さや悲しさより、ライブの高揚感に目を向けるようになった。 それで、その高揚感が最大限に膨らんだライブ当日……、 唯の脳波はこれまで一緒にライブをして来た私達四人を優先したんだ。 憂ちゃん、純ちゃん、和の三人は私達とライブをした事があったわけじゃない。 脳波も私達とそれほど似通ってるわけでもなかった。 だから、多分、自分でも無意識の内に、 唯は自分の脳波と遠くなった三人を、この夢の世界から弾き飛ばしたんだと思う。 それであの三人は私達の前から姿を消す事になったんだ……」 「それじゃ、憂達は……」 唯が呻くように、独り言みたいに呟いた。 澪も辛そうな表情を浮かべながら、それでも言葉を続けた。 「こればかりは分からないけど、三人は元の世界に戻ってるんじゃないかな……。 この夢の世界から覚めて、元の世界で眠り続ける私達の姿を見てるんだと思う。 勿論、これも私の勝手な推測でしかないけど、でも……」 「よかった……」 「えっ?」 「よかった……! 本当によかったよう……!」 一筋の涙を流しながら、そう言って唯は笑った。 予想外に眩しい笑顔。 唯がそんな表情をするとは思ってなかったみたいで、澪が不思議そうな表情で訊ねる。 「よかった……のか、唯……?」 「よかったに決まってるよ! だって……、だって、澪ちゃんの言う通りなら、 憂も和ちゃんも純ちゃんも元の世界で元気にしてくれてるんだよ? こんなに嬉しい事なんて無いよ!」 唯がまた涙を流す。 止まる事の無い、長い長い涙……。 でも、同時に浮かべる笑顔は眩しくて、私は唯の頭をまた撫でていた。 そうだ……、そうだよな……。 澪の言葉が全面的に正しいって決まったわけじゃない。 それでも、元の世界で三人が元気で過ごしてる可能性は高いんだ。 それなら、私達はもっと喜んだっていいんだ……! 今は傍に居なくたって……! 私は自分も泣きそうになるのを感じながら、だけど、泣かずに唯の頭を撫で続けた。 今は唯こそが泣いていい時。 私達はそんな唯を見守ってやる時なんだから……。 三分くらい泣いていただろうか、 涙を止めた唯が照れ笑いを浮かべながら言った。 「ごめんね、皆……。 私、いっぱいいっぱい泣いちゃって……」 「いいよ、唯。 大体、おまえ結構泣き虫なくせに、この世界に来てからは全然泣かなかったじゃんか。 まったく……、無理すんなっての。気が済むまで泣いててくれていいよ」 「えっ……へへ……、恥ずかしいな……。 でも……、りっちゃんとあずにゃんだって泣き虫さんでしょ……? 二人でずっと泣いてたんだよね……?」 「な、何を証拠にっ?」 「だって、二人ともお風呂上がりなのに、まだ目の周りが赤いよー?」 「こっ……、これはだなあ……」 言い訳しながら、梓と二人で顔を見合わせる。 誤魔化せるかと思ってたけど、やっぱりよく見ると梓は目の周りを泣き腫らしていた。 多分、私の目の周りも似た感じになってるんだろう。 泣く事が悪いわけじゃないんだけど、梓と二人で泣いてたってバレてるのは何か凄く恥ずかしい。 あー……、何かムギと澪から妙な視線を感じる気がするー……! 私は咳払いをしてから、どうにか話題を変えてみせる。 「そ、そういや、サヴァンで思い出したんだけどさー……」 「え、何々? 何を思い出したの、りっちゃん?」 よし、空気を読んでくれたのか、 純粋に興味があったのか、とにかくムギが食い付いてくれた。 私は必死に思い出した事を口に出して話を誤魔化す。 「脳にダメージがあって特殊能力が目覚めるって、トレパネーションみたいだよな」 「トレパネーション……? それは知らないな……」 澪が不思議そうに呟く。 お、妙に色んな事を知ってる澪も、トレパネーションまでは知らなかったみたいだ。 何も言わないのを見ると、どうやら梓も知らないらしいな。 皆の豊富な知識に圧倒されるしかなかった私だけに、この状況はちょっと嬉しかった。 私は少しだけ得意になって話を続けてやる。 「私も漫画で読んで知ってるだけなんだけどさ、 トレパネーションってのは頭蓋骨に穴を空けて脳に影響を……」 「ギャーッ!!」 そう叫んだのはやっぱりと言うか何と言うか澪だった。 色んな恐怖に耐えられるようになった澪だけど、痛い話はまだ苦手らしい。 何か落ち着くな……。 「痛い話はやめてくれー……!」 言いながら、私と梓と結ばれてる手を使って、澪が自分の耳を塞いだ。 脳に痛覚は無いから痛くないらしいぞ。 って、雑学を披露するのはやめておいた。 まあ、そういう問題じゃないしな……。 澪は放置しておいて、とりあえず私は説明を続ける事にする。 「何かよく分からないんだけど、頭蓋骨に穴を空けて風通しをよくしたら、 脳にその風の影響があって、変な能力が目覚める事があるんだってさ。 その漫画じゃ他人が皆変な生き物みたいに見えるようになってたんだけど……。 まあ、それはともかく、つまりトレパネーションってのは、 人工的に脳の再配置を行わせるための手術だったんだなって、そう思っただけだよ。 ほら、もう話終わったから、耳を塞いでなくて大丈夫だぞ、澪」 私は自分の腕に力を込めて、澪の手を膝の上に戻らせる。 澪はまだ泣きそうな顔をしながら、まだまだ不安そうな声色で呟いた。 「……本当?」 「嘘吐いてどうするんだっての。 単に私が前読んだ漫画の話を例えに話してみただけだよ。 ほら、私の家にあったろ? 春子に借りてそのままにしてたら、おまえが開いてすぐに閉じたあの漫画の話だよ。 まあ、絵柄が怖かったから、すぐに閉じたんだろうけどさ」 「漫画……?」 「そうだ、漫画だ。 漫画の話なんだから、そんなに怖がる必要なんてないんだっつーの。 おまえもさ、ホラー映画は勘弁してやるとしても、 いい加減、ホラーチックな漫画くらいは読めるようになろうぜ……」 私がちょっと呆れて言ってやると、何故か澪が少しだけ笑った。 笑える事は言ってなかったはずなんだが……。 私が首を捻って唯達と顔を見合わせてみたけど、皆も不思議そうな顔を浮かべてるみたいだった。 仕方が無いから、とりあえず澪に訊ねてみる事にする。 「どうしたんだよ、澪? 私、何か面白い事言ったっけか?」 「いや……、そうじゃないんだけどさ……。 今、律が漫画の話を例にしたんだろ? 実はさ……、私も同じなんだよ。 私の方は漫画じゃなくて小説なんだけど、 結局、私はその小説で得た知識で、この世界についての仮説を組み立ててみただけなんだよな。 自分で言うのも何なんだけどさ……、ベタな設定だと思わないか?」 話し終わると、また澪が一人で小さく笑い出した。 よっぽど笑いのツボにはまってしまったんだろう。 でも、確かに澪の言う通りだよなー……。 ベタだ。確かにすっげーベタだ。 生き物が存在しない世界の正体……、それは皆が見ていた夢だった! なんて、手垢が付き過ぎてて、今更小説で取り上げる気も起きない題材だよ……。 宇宙人とか異世界とか三途の川とか電脳世界とか終末の後とか、 ああでもないこうでもないと色々悩んじゃってた私達が馬鹿みたいだ。 「ホントですよね」 「ベタベタだよね」 澪の言葉に続いて、梓とムギが呟いてから苦笑を始める。 澪の仮定を馬鹿にしてるわけじゃない。 唯だけ皆がどうして苦笑してるのか分かってないみたいで、複雑な表情で首を捻っていた。 私も苦笑して、唯の首に腕を回しながら丁寧に説明してやる。 「ホントにベタな設定に付き合わせてくれたもんだなー、唯」 「ええぅっ? 私っ?」 「ええぅっ? 私っ?」 「そうだぞ、唯。 この世界が出来た根本原因は多分おまえだろ? 今時、こんなベタな設定に巻き込むとか、ありきたり過ぎて呆れて来るわ! だから、皆、苦笑いしちゃってんだぜ?」 「わ、私のせい……だけど、私のせいじゃないよう……。 やりたくてやってるわけじゃないよ……。 でも……、えっと……、ご……ごめん……?」 唯が戸惑った表情で呟いて、私と結ばれてる手で頬を掻く。 理不尽な言い掛かりではあるけど、強く否定し切れないくらいに責任を感じているんだろう。 これ以上からかってやるのも可哀想だ。 私は頭を近付けて、唯の耳元で柔らかく囁いた。 「いいんだよ、唯」 「えっ……?」 「ベタでもありきたりでも何でも、いいんだ。 どんな手段でも、どんな方法でも、私達はもう一度おまえとこうして出会えた。 出会えて、触れ合えて、話せてる。 それは……、すっげー嬉しい事だよ……。 無意識ででもさ、私達の願いを叶えてくれて、ありがとうな……」 「で、でもでも……、そのせいで皆も夢の世界に……」 「それは言いっこなしです!」 梓が真剣な表情になって叫ぶ。 それは唯の事を心の底から大切に思ってるからこそ出せる表情だった。 「この世界に来たのは、私達の意志でもあるんです! 唯先輩だけの責任じゃありません! もし責任を感じてるんだったら、謝るより先に見つけて下さい!」 「見つけるって……?」 「おまえも目を覚ます方法だよ、唯。 私達だけじゃない。おまえも一緒に目を覚ますんだ、唯」 澪が何度も頷きながら言った後、力強く頼り甲斐のある顔で笑った。 澪はもう決心してるんだ。 これから皆がこの世界でバラバラになったとしても、決して諦めないんだって。 皆で戻れる方法を探してみせるんだって。 そんな力強さを持って、澪が続ける。 「まだ具体的な方法が分かってるわけじゃない。 でも、きっと出来るはずだって私は信じてる。 大体、他人を自分の夢の中に引き込むなんて凄い能力だよ、唯。 その能力を上手く応用すれば、おまえ自身が目を覚ます事だって難しくないはずだよ」 「そう……なのかな……?」 「ああ、大丈夫だ。大丈夫だって信じてくれ。 大体、唯は元々頭で考えるタイプじゃないだろ? 全身で世界を感じて、全身で生きていくタイプだろ? ちょっとばかり頭にダメージがあったって、唯なら大丈夫だよ」 「えー……、その言い方は酷いよ、澪ちゃん……」 唯は頬を膨らませて言ったけど、その目は笑っていた。 澪も少しだけ笑っていた。 まあ、それは冗談だけど、と前置きしてから、澪がまた喋り始めた。 「全身で生きてるってのは本気での言葉だよ、唯。 人間はさ、脳からの指令だけで生きてるわけじゃない。 身体中で色んな事を感じて、身体中に色んな事を記憶してるんだ。 『ドナーの記憶』って知ってるか? 嘘か真か、臓器移植した患者がドナーの記憶を夢に見る事があるらしいんだ。 つまり、人間は脳だけじゃなくて、全身で色んな物を考えてるって事なんだよ。 おまえが目覚めるためにはいくらでも……、方法はある。 私はそう信じてるんだ」 「私達もその方法を探すの手伝うから! それまで私、絶対絶対! 元の世界に戻らないからね!」 叫んだのはムギだった。 眉を吊り上げ、誰とも結ばれてない方の手を握り締める。 心強いな、と私は思った。 本気になってくれたムギの姿は、どんな時だって本当に心強い。 私ですらそうなんだから、唯の心強さは私の何倍になるんだろうな……。 「そういうこった」 私はそう言って、唯の頭をくしゃくしゃに撫でてやる。 唯は瞳を俯かせて、震える声で、それでも最後まで言った。 「皆……、ありが……とう。 私……、見つけるから……、皆と元の世界に戻れる方法……、絶対……。 あり……、ありがとう……!」 そうして、皆でまた結んだ手を繋ぎ合った。 この温かさと想いを忘れないために。 遠く離れる事になったって、また傍に居たいと思い続けられるために。 口約束はしない。 強制もしない。 昔みたいに、自分達の意志で自分達のした事をした結果、 皆で集まれて、皆で笑顔を向け合えるようになるために……。 私達は音楽で結ばれた仲間。 音楽の絆のせいでこの世界に閉じ込められて苦しんで、 それでも、皆の傍に居れて嬉しかったし、前に進めるようになった。 願わくはこの夢から目を覚ました時も、皆でこの絆を感じられていられますように。 この世界での思い出が、夢みたいに何処かに消え去ってしまうとしても……。 61
https://w.atwiki.jp/83452/pages/18229.html
私は意を決し、大声を出して道路の真ん中に自転車で飛び出した。 すぐにそれに続き、ムギも道路の真ん中を通り始める。 誰も居ない事は分かってるのに、何だか緊張する。 悪い事をしてる、って感じのちょっと後ろめたい気分なんだと思う。 実際はそんなに悪い事じゃないのに、ついドキドキしちゃってるのは私が小市民だからかな。 でも、私よりもずっと真面目なムギは、もっとドキドキしてるらしい。 ムギの家まで先導するために私を追い越すと、 緊張を和らげるためか軽く鼻歌を歌い出していた。 曲は『Honey Sweet Tea Time』みたいだった。 放課後ティータイムの曲の中で、唯一ムギがメインボーカルを務めた曲だ。 やっぱり、持ち歌の方が鼻歌としては使いやすいんだろうな。 しばらく、ムギの鼻歌を邪魔しないよう、黙ってムギの後に続いた。 結構遠いムギの家だけど、自転車を使えばそんなに時間が掛かるわけじゃない。 ムギが家に取りに行きたいって言ってた何かもすぐに見つかるはずだ。 その後は和に頼まれてた街の地図を本屋から拝借し、 それとドーナツ屋に寄ってから、早めに学校に戻ろうと思う。 夕食の準備をしておきたいし、純ちゃんにドーナツの差し入れもしたいからな。 スーパーじゃないオールスターパックに純ちゃんは喜んでくれるかな……? それにしても、と私の前を進むムギを見ながら思う。 ムギと自転車で遠出をするのは、すごく久し振りだ。 ムギと自転車に乗ったのは高一の頃……、夏休みに入る直前くらいだった気がする。 何だか懐かしい。 あの頃、ムギって自転車に乗れなかったんだよな……。 いや、完全に乗れないってわけじゃなくて、少しは乗れてたんだけど、 遠出が出来るくらいには自転車を乗りこなせてなかったんだ。 乗り方に力が入り過ぎてて、自転車に乗った方が歩くよりも疲れちゃうって感じかな。 だから、放課後に皆で特訓をしたんだよな。 ムギはまだ軽音部に慣れ切ってなくて、敬語交じりに私達の特訓を受けてたっけ。 澪も澪で、ムギの特訓をしながら、二人の手と手が触れる度に赤くなってた気がする。 今思い出しても、初々しいな、オイ。 私と唯はと言えば、手と手どころか腰と腰が触れるくらいムギに密着してたけどな。 どっちが正しい付き合い方なのかは微妙な所だけど、 とにかくその特訓のおかげでムギと一緒に自転車で遠出出来たんだったな。 遠出っつっても、ちょっと遠いショッピングモールに行くくらいの話なんだけどさ。 ムギが結構打ち解けてくれたのは、あの遠出の後くらいからだったか。 少し敬語が残ってはいながらも、 自然な感じに話し掛けて来てくれる様になったんだよな。 そんなこんながあって、今じゃムギは私達に完全に気を許してくれてるはずだ。 勿論、確証なんか一つも無いけど、そうだったら本当に嬉しいな。 そういや、あの遠出の日もムギは鼻歌を歌ってた気がする。 『Honey Sweet Tea Time』どころか、 『ふわふわ時間』すら出来てない時期だったから、 ムギが歌ってたのは『ビューティフル・サンデー』だったな。 今思い出しても、古いな! でも、そういうのもムギっぽいって思えるのが面白いよな。 「りっちゃんと一緒に自転車に乗るのも、久し振りだよね」 いつの間にか『Honey Sweet Tea Time』の鼻歌が終わっていたらしい。 ムギが自転車の速度を少し落として、私の自転車の隣に並んで言った。 私は頷いてから、小さく笑う。 「今、私もそう考えてた所なんだよ、ムギ。 懐かしいよなー。ムギって昔は自転車に乗れなかったもんなー」 ちょっと誇張して言って、ムギをからかってみる。 怒られるかと思ってたけど、ムギは笑顔になって続けた。 「そうだよね。 私、りっちゃん達のおかげで、自転車に乗れるようになったんだよね。 そのおかげで今だって自転車に乗れてるんだもんね。 本当にありがとう、りっちゃん」 からかったつもりだったのに、まさかお礼を言われるとは思わなかった。 くすぐったくて、それ以上に申し訳ない。 私は「どういたしまして」と言う事しか出来なかった。 頬を軽く掻いて、私は照れ臭さと申し訳なさを隠して、話を少し変えてみる。 「そういや、ムギって自転車に乗ると鼻歌を歌ってるよな。 ひょっとして、そういうのが夢だったりしたのか?」 「うん、やっぱり、自転車って言ったら鼻歌ってイメージがあるんだ。 爽やかな日曜日、鼻歌交じりに自転車に乗ってお出かけなんて素敵よね。 ずっと夢だったし、それを叶えられてすっごく嬉しいの」 「これぞまさしく『ビューティフル・サンデー』ってやつだな。 今日は日曜日じゃないけど、ムギの言う事は私も分かるよ」 言ってから、ちょっとだけ迷った。 今日って本当に日曜日じゃなかったっけ……? 夏休みだからってのもあるけど、 生き物が居なくなってから、本気で曜日の感覚が無くなってきた。 えっと……、梓と待ち合わせてたのが三日前の火曜日だから……、 うん、今日は日曜日じゃないか。 人は周囲の状況の変化で時間経過を実感するものだって話を、和から聞いた事がある。 その時は放課後ティータイムが全然変わらないから、 時間の流れが実感しにくい、って皮肉みたいに言われたんだけどな。 でも、和の言う通りでもある。 ずっと同じサイクルで同じ様な生活をしてたら、 時間経過も曜日の感覚も分からなくなって来ちゃうもんだよな……。 曜日毎にアクセントを付けたスケジュールでも考えてみるか……。 そこまで考えて、私は何だか嫌になった。 少しずつこの状況を受け容れようとしてしまってる自分を。 何を考えてるんだよ、私は……。 最悪、この世界を受け容れなくちゃいけなくなったとしても、 それまではこの状況の打開策を考えなくちゃいけないじゃないか。 和とも約束したじゃないか。 諦めちゃ、駄目じゃんかよ……。 私は首を横に振って、自転車のハンドルを強く握る。 今日の夜には澪と話をしたいのに、 私の方がこんな迷ってちゃ澪を余計に不安にさせるだけだ。 もっと心を強く持たないと、あいつを支えてやる事なんて出来るはずも無い。 それに、これ以上澪と話すのを先延ばしにしちゃったら、 逃げる口実を無限に探すようになっちゃいそうで、すごく恐い。 だからこそ、今夜、もっと強く決心をして、私は澪と話すんだ。 「りっちゃん……? どうかしたの?」 私が少し黙り込んでた事が気になったらしい。 気が付けば、ムギが首を傾げて、心配そうに私の顔を見つめていた。 私は「何でもないよ」と笑顔になってムギに返す。 澪の事は大切だ。 ずっと一緒に居た幼馴染みなんだ。 こんな時だからこそ、もっと大切にしたいと思う。 でも、ムギだって大切な友達なんだ。 折角、二人で話をしてるんだから、 澪の事を完全に忘れるとはいかないまでも、 ムギの方にももっと目を向けなきゃ、ムギに失礼だよな。 「いきなり話を変えて悪いんだけどさ、 ムギって私達の曲の中じゃ『Honey sweet tea time』が一番好きなのか? さっきも鼻歌で歌ってたし、よく口ずさんでるのを見かけるしさ。 勿論、わざわざ順位付ける事でも無いって思うんだけど、ちょっと気になっちゃって。 やっぱり自分がメインボーカルだと、お気に入りになる感じなのか?」 私は話題を変えて、ムギに訊ねてみる。 それは私の迷いを誤魔化すため……、 じゃなくて、前々から普通に気になってる事だったからだ。 放課後ティータイムの曲の中で、唯一ムギがメインボーカルを務める珍しい曲。 大抵、そういう曲は完成度が低くなっちゃうのが関の山だ。 やっぱり普段ボーカルを務めてる奴が歌わないと、変になっちゃうもんだよな……。 でも、同じバンドに所属してる私が言うのも変だけど、 『Honey sweet tea time』はかなりいい曲に仕上がってるって思う。 ムギの柔らかい歌声と、澪の甘い歌詞がすごく合ってるんだよな。 大体、そもそもは合唱部に入部しようとしてたムギなんだ。 本来なら、ムギがメインボーカルを務めるのが自然なのかもしれないしな。 いや、唯と澪のボーカルが駄目だってわけじゃない。 二人のボーカルには、二人それぞれの良さがあるのを私は実感してる。 「そうだね……。 確かに自分が歌う曲だと、自然に歌詞も覚えちゃうんだけど……」 少し照れた感じでムギが微笑み、言葉を止めた。 何だか珍しいな、って思った。 ムギが照れるなんて、和が照れる以上に珍しい気がする。 でも、私、そんな照れさせる事を言っちゃったのかな。 一番好きな曲を訊いただけなんだけど、 それが自分の唯一のボーカル曲だったら恥ずかしいもんなのかな? その辺、ボーカルを務めた事が無い私には分からない。 私とその気持ちを共有出来るのは、 同じくボーカルを務めた事が無い梓だけだろう。 いや……、あいつとももう共有出来ないか。 梓の奴、新軽音部でボーカルをやるらしいからなあ……。 おのれ、梓、裏切ったな! 仲間だと思ってたのに、私の気持ちを裏切ったな! なーんてな。 本当は別に怒っちゃいないし、逆に嬉しい。 正直な話、あいつは上手い下手はともかく、人前で歌うのが苦手なはずだ。 前にカラオケに行った時も照れまくって、 「どうぞ先輩達から歌って下さい」って、自分の番をどんどん後回しにしてたからな。 あんまりにも歌わないもんだから、 私がデュエット曲を入れて、無理矢理あいつにも歌わせたんだっけ。 でも、あいつは新軽音部でメインボーカルを務める。 最近、メインボーカルを教えようとしないあいつから、それを無理矢理メールで聞き出した。 やっぱり、まだ恥ずかしい気持ちがあるんだろうな。 それでも、あいつはメインボーカルをやるんだ。 部長だから……、私達の想いを受け継いでくれたから……、 苦手でも、恥ずかしくても、歌いながら部員達を引っ張ろうと思ってくれたんだろう。 それがとても、嬉しくて、心強い。 『ボーカル、頑張れよ』と送ったメールに、 『律先輩と違って、ボーカルも出来る部長になってやります!』って、 生意気この上ない返信があった時も、心強さを感じさせられたっけな。 って、おっと。 ムギの話の最中なのに、今度は梓の事ばかり考えちゃってたな。 どんな時でも皆の事を均等に考えちゃうのは、私の悪い癖なのかもしれない。 私は少し苦笑してから、ムギの顔を見つめて次の言葉を待つ事にする。 ちょっとだけ後、頬を結構赤く染めたムギが言葉を続けた。 「あのね、りっちゃん……。 私ね、放課後ティータイムの曲は全部好きなの。 最初の方に作った曲も、高校最後に皆で作った『天使にふれたよ!』も大好きよ。 全部大好きだから、その曲の中で順位は付けにくいな……。 でもね……、放課後ティータイムの曲は全部大好きなんだけど、 一曲だけどの曲よりもすっごくすっごく好きな曲があるの。 その曲はね、りっちゃんの言う通り、 『Honey sweet tea time』なんだけど、それは私が歌う曲だからじゃなくて……」 「ムギが歌う曲だからじゃないのか……? じゃあ、どうして『Honey sweet tea time』が……?」 「えっとね……。実はね……」 何度も言葉を躊躇うムギ。 何だかどんどん顔も紅潮していってる気がする。 どうしてムギはそんなに恥ずかしがってるんだろう? そんなに顔を赤くしないといけない理由があるんだろうか? また少し経って、ムギはその理由を口にした。 その言葉を聞いた途端、私の顔も多分真っ赤になった。 「『Honey sweet tea time』はりっちゃんのおかげで作曲出来た曲だから……。 ほら、『かがやけ!りっちゃんシリーズ』で、 りっちゃんがキーボードに挑戦した時があったでしょ? あの時にりっちゃんがキーボードを弾いてくれて、どんどん曲のイメージが湧いて来て……。 そんな事は初めてだったし、それだけでも嬉しかったんだけど、 りっちゃんが初めて私を『ムギちゃん』って呼んでくれたのが、もっと嬉しくて……。 だからね……、私は『Honey sweet tea time』が一番好きな曲なの」 ムギの言葉が終わっても、私はしばらく何も言えなかった。 顔が熱いし、心臓がかなりの速度で動いてるのを感じる。 嬉しいとは思うんだけど、どう反応したらいいのか分からなかった。 私が初めてムギを『ムギちゃん』って呼んだ……。 直接言葉にしてそう呼んだ事は無いはずだけど、そういや覚えてる事がある。 高校三年の修学旅行前、ムギのキーボードを試してみた時、 私はキーボードの音色で『ムギちゃん』と聞こえるように弾いてみた。 深い意味は無かったし、思い付きでやってみただけだったんだけど、 ムギの中では心に強く残る思い出になる事だったんだ。 琴吹紬……、あだ名はムギ。 中学生の頃にどう呼ばれてたのかは知らないけど、 高校で一番最初にそのあだ名を付けたのは私だった。 澪とムギと私で軽音部の新入部員を待っていた頃、 何となく付けてみたあだ名だったけど、ムギがとても喜んでくれたのは覚えてる。 それくらい、ムギは私のした事を思い出にしてくれてるんだ。 それはとても嬉しいんだけど、とても照れ臭い。 珍しくムギが何度も言葉を止めたのも分かる。 こんなの流石のムギだって照れ臭いよ……。 「あの……、えっとさ……、ムギ……。 その……、何だ……」 ムギよりも遥かに照れ臭いのに弱いのが私だ。 多分、軽音部の中じゃ、一番褒められ慣れてないしな。 だから、何かをムギに伝えようとして、言葉が全然出せなくなっちゃっていた。 かっこわりー……。 ライブのイメージトレーニングなんかじゃ、 大勢のファンに駆け寄られても、クールに応対する練習してたんだけどなあ……。 ムギが頬を赤く染めたまま、私の次の言葉を待っている。 私は何かを言おうとして言葉にならなくて、頭の中がグルグル回っちゃって……。 気が付けば、一言だけ言葉にしていた。 「ありがとな……」 何に対しての『ありがとう』なのかは自分でも分からない。 褒めてくれて『ありがとう』なのか、 『Honey sweet tea time』を一番好きでいてくれて『ありがとう』なのか……。 自分でも全然理に適ってないと思ってしまう言葉だったけど……、 ムギはそれに対して、「うん!」と頷いて晴れやかに笑ってくれた。 そのムギの笑顔を見て、私は何となく考えていた。 そっか……。 多分、私が言った『ありがとう』は、 『今まで一緒に居てくれてありがとう』って意味だったんだ……。 何となく考えてみただけの事だったけど、それは間違ってない気がした。 うん、ありがとう、ムギ。 こんな状況だからってだけじゃなく、 ムギが今まで一緒に居てくれたおかげで楽しかったし、心強かった。 だから、本当にありがとうな……。 私はそれを言葉にせず胸に秘めて、ムギと並んでしばらく自転車を走らせる。 二人とも何も言わない。 言葉を失くしたわけでも、喋りたくないわけでもない。 二人とも、お互いが傍に居る事だけを、感じていたかったんだと思う。 たまに顔を合わせて、笑い合う。 それだけの事が、とても嬉しかった。 14
https://w.atwiki.jp/bigami/pages/26.html
現代編/PL5人/4サイクル/特殊型 ※上級者向け※ 突如街中に現れた巨大な扉。その正体は全く不明である。誰が名づけたのか定かではないが、「津尽羽の扉」と呼ばれている。 比良坂機関は3人のシノビに対して、扉を封印する忍務を依頼した。その頃、それとは別に動いているシノビもまた3人。果たしてあの扉は何なのだろうか? + シナリオの導入やNPCのステータス(GM情報) ■一般情報 4サイクルのシナリオである。 PCは全員階級が大体揃っていればよいが、後述するバランス調整をしっかり行うこと。 流派については一部変更が難しいものもあるだろうが、上手くハンドアウトを書き換えれば推奨以外の流派でも対応できるはずだ。 NPC1とPC3は同性、それに対してPC5は異性にするのを推奨する。同性愛が発生してもよければ別に気にしなくてもよい。なおNPC1を男性にする場合はPC5の【本当の秘密】を一部書き換えるのを忘れないように。 注意点として、PC4に対しては「【使命】を達成できない」という前代未聞の【秘密】が配られることになる。これについては「【使命】を達成する方法はあるので安心してください」といったように個別で話しておいた方がトラブルが起きにくいだろう。 ■特殊ルールについて この下に折り畳んでいるのはPC、NPCが持つ【本当の秘密】である。詳しくはプライズ1の【秘密】を参照。そのように【秘密】が途中から丸ごと入れ替わるというギミックがこのシナリオの根幹で、それが好みでなければあまりお勧めしない。 以後の記述は全員の【使命】と【秘密】と【本当の秘密】を頭に入れてから読み進めて欲しい。 ■導入 各々の【使命】を元にそれっぽく演出すればよい。 PC1、2、3はPC3の上司の設定があればそこから忍務を言い渡すといいだろう。PC4も同様に斜歯の上司から忍務を言い渡されればよい。PC5はもし同じ流派のNPCやPCがいれば、そこから扉に関する噂を聞いた風に演出するのがいいかもしれない。 ■マスターシーン サイクルの最後にNPC1が行動を行う。 まだプライズ2を誰にも渡していなければ、NPC1はまずPC5に対して感情判定を行う。RPを考慮してプラスの感情を取るのが適切そうならプラスの感情を取り、その場でプライズ2を渡そうとすること。受けとってもらえなければ、誰かにプライズ2を渡す、もしくはプライズ2が奪われるまで他のPCにそれを繰り返す。 感情判定の優先順位は5 4 2 1 3である(NPC1は御斎、3は比良坂なのであまり関わりたくない。5がハグレモノの場合仇敵ではあるが、個人的にハグレモノへの偏見がないものと考えて欲しい)。 誰かがプライズ2を手に入れたら、以降はランダムな対象に情報判定を行う(NPC1に感情判定した者が手数的に不利にならないようにするため)。 扉が開いている場合、NPC1の行動の後に対忍者ヘリコプターによるPC2への襲撃がある。この戦闘への乱入には通常通りPC2に感情を持っている必要がある(特殊な戦闘乱入を採用するならばしてもよい)。 攻撃の優先度は以下の通り。 PC2 自分に敵対的な行動をとったキャラクター 私立御斎学園 隠忍の血統 世界忍者連合 その他 比良坂機関 基本ルルブにある通り【ANM】による範囲攻撃を使えるが、世界忍者連合以上の優先度を持つキャラクターしか巻き込まない。逆にこちらに対し友好的な行動を取っているキャラクターがいる場合、優先度が高くても巻き込まないという選択をして問題ない。 また、単なるフレーバーなので必須ではないが、扉が開いていない場合、サイクル終了時にシークレットで1d6を振る。結果が1~5ならその番号のPC、6ならNPC1の【本当の秘密】に関わる描写を「あなた達は夢を見る。これは誰かの記憶」という体で全員に伝える(誰のものなのかは言わない方がきっと楽しい)。以下を参考。 PC1 そこには自分の家族がいた。ふと、自分の手を見ると、ずいぶん小さい。これは幼少の頃の記憶なのだろう。その時突然、あなたの両親が血を噴き出して倒れた。その後ろには黒装束の何者かの姿。それは目に留まらぬ速さで動き、彼らを連れ去っていった。あなたには、どうすることもできなかった。 PC2 あなたはある建物の中に立っている。そこがどこだったか、なぜ立っているのか、それは分からない。後ろにはとても重要なものがある、それだけは分かる。あなたはただ前を見据えて立っていた。しかし不意に眠気が襲う。薄れていく意識の中、何者かが建物に侵入してきた……。 PC3 幸せだった頃の記憶が脳裏をよぎる。あなたはそれを取り戻そうと走っている。彼(彼女)を追って。しかし忽然と彼(彼女)の姿が消えた。もう体力は限界のはずなのに、一体どんな力で? PC4 いや、これは、記憶ではない。これはあなたの心、今の想い。あなたがいるべきはここではないのだ。もっと辛く、憎しみと悲しみが溢れ、しかしだからこそ、生きる甲斐がある。この「閉ざされた世界」を解放すること、それがあなたの望みである。 PC5 幸せだった頃の記憶が脳裏をよぎる。あなたはそれと決別するため走っている。後ろから追ってくるそれから逃げ切るのは、もはや不可能だろう。体力が限界を迎えたとき、あなたを助けてくれた存在がいた。 NPC1 いや、これは、記憶ではない。これはあなたの心、今の想い。何か大切なことを忘れているのだ。それは自分のそばにあったはず。忘れてはならなかったはず。取り戻したいと願っても、決して思い出せない……。それでも、思い出さなければ。 ■バランス調整 基本的に1,2,3 VS 4,5,NPC1の戦いになる。しかしPC1は場合によっては全員を敵に回す選択をする可能性があることを考慮すると、2と3に強めのキャラが来るのが望ましい。ただし3は比良坂であり戦闘は不利なことが多いので、2の鞍馬が強くないと厳しいだろう。1も孤軍奮闘してもどうにかなるよう、やはり強いキャラが望ましい。 それぞれの使うキャラが決まったらNPC1の強さによってバランスを調整することになる。1と2が十分強いのであればNPC1もPC相当の強さにしてよい(中忍頭にしてもよい)が、そうでなければ支援的な忍法ばかりを取るなどして弱めに調整するのが適切だろう。参考程度に3通りのステータスを示しておく。 弱いもの(中忍) 大体中忍PCと似たような戦力だろうもの(中忍) 大体中忍頭PCと似たような戦力だろうもの(中忍頭) ■緊急事態 プライズ1の【秘密】が最後まで公開されないという事態が起きうる。 しかしPC2はプライズ1の【秘密】が得られなければ【使命】が達成できず、PC4は前述の通り元々【使命】を達成できないため色々な【秘密】を抜きに行こうとするはずなので、基本的にはどこかでプライズ1の【秘密】が公開されるはずである(最短1サイクルだが、2~3サイクル目を想定)。 それでももし最後まで公開されないようであれば……その時はGMが臨機応変に対応して欲しい。PC2と4が詰みの状態になるのを利用して、新たな使命表から敵対関係を再構築するようなものを指定して割り当ててもいいだろう。そういった場合、NPC1は無理にクライマックスフェイズに参加させなくてもよい。 ■備考 ●名前の由来 「津尽羽の扉」:現(うつつ)→つつう 「命遊の鍵」;夢(ゆめ)→めーゆー 案外バレないものだが、メタ推理を気にするなら名前を変えるのもいいだろう。 + ※特殊ルール(GM情報) ※特殊ルール(GM情報) 【本当の秘密】リスト。詳しくはプライズ1の【秘密】を参照。 ■PC1 + 【本当の秘密】 【本当の秘密】 あなたは思い出した。 あなたは斜歯の忍者に一族を皆殺しにされている。しかしあなたが怨恨を抱くのは斜歯だけではない。忍者という存在そのものだ。すべての忍者を抹殺するため、修練を積んできた……ニンジャスレイヤーなのである。あなたは他のキャラクターに対して獲得している【感情】を、好きなタイミングで「殺意」に変更できる(この【本当の秘密】が失われた場合、元の【感情】に戻る)。 あなたの【本当の使命】は、クライマックスフェイズでただ一人の勝者となることだ。 ■PC2 + 【本当の秘密】 【本当の秘密】 あなたは思い出した。 あなたは「命遊の鍵」が盗まれたとき、その警備を任せられていた本人だ。その責任を問われ、比良坂機関上層部に命を狙われていた。そんな折に「津尽羽の扉」が開き、その不都合な事実がなかったことになったのである。しかし、扉が開かれている今、このままではあなたは比良坂機関の追手に殺されてしまう。 あなたの【本当の使命】は、「津尽羽の扉」を閉ざして封印することだ。 特殊効果:追手が動き出したようだ。各サイクル終了時、あなたはエネミー「対忍者ヘリコプター」から戦闘を仕掛けられる(このエネミーに【秘密】や【居所】はなく、クライマックスフェイズには参加しない。この戦闘はそのサイクルのマスターシーンであるとして扱う)。 ■PC3 + 【本当の秘密】 【本当の秘密】 あなたは思い出した。 PC5と以前交際していたのだ。しかし浮雲紫は浮気をした。許されざる行いに報いを与えるため、あなたは周到に準備していたのだった。 あなたの【本当の使命】は、クライマックスフェイズにPC5を自分の手で倒すことだ(【生命力】を0にしなくてはならない)。 ■PC4 + 【本当の秘密】 【本当の秘密】 あなたは、ぬるま湯の虚構の中で生きることに著しい嫌悪感を覚えている。 あなたの【本当の使命】は、「津尽羽の扉」を開いた状態で破壊することだ。 ■PC5 + 【本当の秘密】 【本当の秘密】 あなたは思い出した。 PC3と以前交際していたのだ。しかしいざ付き合ってみるとPC3は恐ろしい性格であり、命からがら逃げ出したところを他のクノイチ――NPC1に助けられ、恋に落ちたのだった。これを見た時点であなたはPC3に対して好きなマイナスの感情を結び、NPC1に「愛情」の感情を結ぶ。 あなたの【本当の使命】は、クライマックスフェイズにPC3を脱落させることだ。 特殊効果:あなたが一度でもこの【秘密】を見た場合、「津尽羽の扉」が閉じていたら【使命】を達成することはできない。特例として、この効果は「津尽羽の扉」が閉じていても失われない。 ■NPC1 + 【本当の秘密】 【本当の秘密】 あなたは御斎学園上層部に命じられ、比良坂機関が管理していた「命遊の鍵」を盗み出した張本人だ。 しかし何かの拍子に封印が解かれてしまい、「津尽羽の扉」が出現し、記憶を失っていたのである。 が、そんなことはもはやどうでもよく、実はあなたはPC5と愛し合っている。あなたはPC5に「愛情」の感情を結ぶ。 あなたの【本当の使命】は、PC5の【使命】または【本当の使命】を達成させることだ。 ■PC1(鞍馬推奨) 【使命】 あなたは鞍馬神流の忍者として、PC2,PC3と共に比良坂機関から合同忍務を受けた。 高い戦闘能力をもつあなたとPC2で、邪魔者を排除するよう命じられている。 あなたの【使命】は、「津尽羽の扉」を封印することだ。 + 【秘密】 【秘密】(バヨネット推奨) あなたは鞍馬神流の中でも爪弾き者だ。所属流派内に心を許せる仲間が少ないあなたは、この合同忍務を機に他流派の忍者と親睦を深めたいと思っている。 あなたの【本当の使命】は、シナリオ終了時に3人以上のキャラクターに対してプラスの感情を獲得していることだ(シナリオ終了時にそれらのキャラクターが生存していなければならない)。 ■PC2(鞍馬推奨) 【使命】 あなたは、PC1、PC3と共に、比良坂機関から合同忍務を受けた。 高い戦闘能力をもつあなたとPC1で、邪魔者を排除するよう命じられている。 あなたの【使命】は、「津尽羽の扉」を封印することだ。 + 【秘密】 【秘密】 あなたは「津尽羽の扉」と深く関係する、「命遊の鍵」と呼ばれるプライズをNPC1が持っていることを知っている。しかし、なぜ自分がそれを知っているのかを思い出せない。 ■PC3(比良坂推奨) 【使命】 あなたは、PC1,PC2と共に比良坂機関から合同忍務を受けた。 情報収集に秀でたあなたは、今回の任務では他の2人を情報面でサポートするよう命じられている。 あなたの【使命】は、「津尽羽の扉」について情報を集めることだ。 + 【秘密】 【秘密】 あなたは古くからの友人であるPC5に密かな恋心を寄せている。あなたは好きなタイミングでPC5に 「愛情」の感情を獲得できる(何度でも行える)。 あなたの【本当の使命】は、PC5と互いに「愛情」の感情を結ぶことだ。 ■PC4(斜歯推奨) 【使命】 あなたは斜歯忍軍の上層部から、「津尽羽の扉」のデータを取ってくるよう任務を受けた。 あなたの【使命】は、「津尽羽の扉」について情報を集めることだ。 + 【秘密】 【秘密】 「津尽羽の扉」のデータは、取ることができそうにない。どのように観測しても、なぜか保存したデータがすぐに消えてしまうのだ。 あなたは、【使命】を達成することができない。 ■PC5(ハグレまたは隠忍推奨) 【使命】 あなたは自らの持つ情報網から、「津尽羽の扉」についての噂を聞いた。 自分の力にできるものかもしれないが、おそらく比良坂機関も動いているだろう。比良坂機関の流派混合部隊よりも先に、確実な情報を手に入れることが必要だ。 あなたの【使命】は、「津尽羽の扉」について情報を集めることだ。 + 【秘密】 【秘密】 あなたは古くからの友人であるPC3に密かな恋心を寄せている。あなたは好きなタイミングでPC3への感情を「愛情」に変更できる(何度でも行える)。 あなたの【本当の使命】は、PC3と互いに「愛情」の感情を結ぶことだ。 ■NPC1 矢野青葉(御斎) 【使命】 あなたは御斎学園の忍者だ。上層部から、今回の事件について調査を命じられている。 あなたの【使命】は、「津尽羽の扉」について情報を集めることだ。 + 【秘密】 【秘密】 あなたはいつの間にか、プライズ「命遊の鍵」を持っていた。 気味の悪いこの鍵は、持っていると大変なことになるような気もするし、かといって手放すのも何か危険な気がしている。 あなたは信頼できる人に、このプライズを渡したいと思っている。 あなたは自分がプラスの感情を持っている人に対して、「命遊の鍵」を渡そうとする。 ■プライズ1「津尽羽の扉」(ツツウノトビラ) 【概要】 突如、街の中心に出現した謎の扉。現在は各流派が隠蔽工作をすることで一般人の目には触れないようになっている。 プライズ2「命遊の鍵」の所持者がこのプライズに対して情報判定を行うことで、このプライズの【秘密】が公開される。 + 【秘密】 【秘密】 ※拡散情報。誰かがこの【秘密】を獲得した場合、全体に公開される。 扉は開いた。その瞬間、消え失せた。いや、元から扉など存在していなかったのかもしれない。 この扉は、現実のあらゆる不都合をその内部に取り込み、封印するものだ。 扉が閉ざされている間、都合の悪い現実は全て世界から忘れられ、あらゆる人間が無知で幸福な夢の中に生きることができる。 この扉が開いている場合、あるいは開いた状態で破壊された場合、全てのキャラクターの【秘密】はそれぞれに割り当てられた【本当の秘密】に置き換えられる(あるキャラクターの【秘密】を既に知っている者は、そのキャラクターの【本当の秘密】も知ることができる)。 プライズ2「命遊の鍵」をクライマックスフェイズ終了時に所持している者は、開いた状態の扉を再び出現させることができる。そして、それを閉ざして永久に封印するか、鍵ごと扉を破壊するかを選択することができる。 ■プライズ2「命遊の鍵」(メイユウノカギ) 【概要】 全てを閉ざすと言われる「津尽羽の扉」を開け閉めできる鍵。 このプライズを手に入れた者は、このプライズの【秘密】を獲得する(情報共有は発生する)。 + 【秘密】 【秘密】 「津尽羽の扉」の【秘密】が公開されると、扉は開く。 扉が開いたとき、隠されていた真実が明らかとなる。 + プライズ3 ■プライズ3「対忍者砲」 【概要】 このプライズに【秘密】は存在しない。このプライズを所有しているキャラクターは、その間忍法【対忍者砲】を修得する。 【対忍者砲】 攻撃忍法/間合2/コストなし 指定特技:砲術 射撃戦。この忍法は、間合い1以下の忍者のキャラクターを目標に選んだ場合、命中判定が自動的に成功する(スペシャルではない。達成値が必要な場合は10になる)。攻撃が成功すると、目標に射撃戦ダメージを1点与えることができる。 + エネミー ■エネミー「対忍者ヘリコプター」 基本ルルブ180P準拠。ただし、プライズ3「対忍者砲」を所持している。
https://w.atwiki.jp/83452/pages/18236.html
恨み節みたいに梓が呟くと、 憂ちゃんがその梓の背中を慰めるみたいに撫でた。 いや、梓の言いたい事は私にも分かる。 折角のコラボユニットなんだ。 二つのバンドの名前を上手く組み合わせたネーミングにしたかったんだろう。 実を言うと、私も同じ様な事を考えてはいた。 流石にバンドの名前を組み合わせるのはそのままな気がしたから、 メンバーの特徴を組み合わせた名前ってのはどうかと思ってたんだ。 例えば梓は『猫』、『キャット』、『にゃんこ』的な名前。 憂ちゃんは『ポニー』、『リボン』、『妹』、『シスター』。 純ちゃんは『モコモコ』、『ボンバー』……、いや、何でもない。 とにかくそんな感じの名前を組み合わせようかと思ってた。 『にゃんこタイムボンバーシスターアンドロメダ』ってな感じで。 ちなみに『タイム』が和で私が『アンドロメダ』だ。 『タイム』は時間にうるさい和のイメージだけど、 『アンドロメダ』に深い意味は無かったりする。単に語呂です、ごめんなさい。 ……流石にこの名前は、私の心の中だけに秘めておこう。 「律先輩はどんな名前を考えてるんですか?」 赤い顔が治まらないままチラリとだけ私を見て、梓がぼそっと呟いた。 普段は高めの声が妙に低くなってて何か怖い。 「ん? あー、私のは後でいいじゃん? ほら、私って議長だし? 議長ってのは意見をまとめるのが仕事だからな」 『にゃんこタイムボンバーシスターアンドロメディア』(ちょっと変えてみた)。 とは、言えないよな。 私は梓から視線を逸らして、誤魔化して言ってみた。 「議長が名前の候補を出したっていいんじゃないですか?」 その誤魔化しに気付いてるみたいで、やっぱり梓は譲らなかった。 私より小さな身体をしてるくせに、その言葉には異様な威圧感があった。 私は梓に気圧されながら、どうにかもう一度言い訳してやる。 「いや……、だからな……。 そうは言っても、議長ってのはあんまり個人的な意見を口にしちゃ……」 「いいから教えて下さい」 「はい……」 負けた……。 つーか、怖いぞ、梓ちゃん……。 『ほうかごガールズ』って名前、そんなに恥ずかしかったのかよ……。 突っ込みはしたけど、私としてはそんなに悪い名前じゃないって思うんだけどなあ。 とにかく、根負けしちゃったからには、私の意見を出さないわけにはいかないか。 一応、候補が無かったわけじゃない。 私は頬を掻きながら、まだジト目の梓の瞳を見つめて言ってやる。 「そうだな……。 私が考えた新ユニット名は『真・恩那組』なんだけど、どうだ?」 「律先輩だってそのままじゃないですかっ!」 梓の激しい突っ込みが音楽室に響く。 予想はしてた事だけど、ちょっとびっくりした。 私と同じく純ちゃん達もびっくりしてるのかと思ったんだけど、 何故だか二人は楽しそうな表情で私と梓を見つめていた。 何だ何だ? 二人とも何でそんなに楽しそうなんだ? 私がその答えを出せない内に、梓が突っ込みを続ける。 「『恩那組』って、まだ『放課後ティータイム』って名前が決まってない時に、 律先輩が候補として挙げた名前じゃないですか……。 まだこだわってたんですか、その名前……」 「えー、いいじゃんかよー。 カッコいい名前だろ、『恩那組』? バンド名ってのは、ちょっとダサいくらいが逆にカッコいいんだって。 しかも、『真』だぜ? 新しい『新』じゃなくて、真実の『真』の方なんだぜ? いい名前じゃんか、『真・恩那組』!」 「自分でダサいって分かってるんじゃないですか……」 呆れた口振りで梓が呟く。 分かってねーな、世の中にはダサカッコいいって言葉もあるんだぞ。 ロボットとか特撮ヒーローも、微妙にダサい所があるからカッコいいんだよ。 半分ずつ二色で区切られてる奴とか、宇宙に行く白い奴とか、 一見は酷く見えるけど、慣れるとカッコよく思えて来るもんなんだ。 バンド名だってそうだ。 深い意味があって付けられたバンド名なんて、実はあんまり無い。 単に路面電車やホルモンが好きだから付けられたバンド名ってのもあるんだ。 でも、そんなバンドでも、今じゃ大勢のファンに受け容れられてる。 要は名前じゃなくて、何をやったかだと思うんだよな。 まあ、それを声を大にして主張するのは、 流石にどうにも気恥ずかしいから出来ないんだけどさ。 「それに『恩那組』ってパクリじゃないんですか? いえ、昔居たらしいアイドルグループのパクリって話じゃないですよ? それよりもですね、律先輩の大学のお知り合いの方に、 そういう名前のユニットがあるって聞いた憶えがありますけど……」 「えっ、実際あるユニットなのっ?」 梓が言うと、純ちゃんが目を丸くして軽く叫んだ。 意外と梓も私達の大学事情に詳しいな。 つーか、私がメールで教えたんだっけ? ……メールしたような気がする。 梓もよくそんな事憶えてるよな……。 憶えてるって言えば、 そもそも私が昔発案した名前って事もよく憶えてるもんだ。 あれ以来、話題にした事が無かったはずの、言わば一発ネタってやつだ。 でも、梓はしっかりと憶えていたらしい。 まあ、それだけインパクトのある名前だったって事なんだろうな。 ある意味、私の目論見は成功してたってわけだ。 私は嬉しくなって口の端を緩め、 梓の頭に軽く手を置いてから続けた。 「パクリじゃないぞ。オマージュでもない。 『恩那組』ってのは、実は私が中学の時から温めてたバンド名だからな。 思い付いてたのは私の方が遥かに早い……はずだ! つまり、私がオリジナルだ。 私が……、私達が……、オリジナルだ!」 「自慢気に言う事ですかっ! しかも、私達がオリジナルって事は、 もうバンド名が『真・恩那組』で決定してる……っ?」 梓がまた大袈裟に突っ込んでくれる。 結構律義な奴で、何だか嬉しい。 私の突っ込みは本来は澪なんだけど、 澪の奴、長い付き合いのせいか、和のやり方を学んだせいか、 最近はどうにも突っ込みがおざなりなんだよな……。 それもそれで仲が良い証拠なんだろうけど、やっぱたまにはこういう突っ込みも欲しい。 また何となく周りを見渡してみる。 思った通り、やっぱり何故か純ちゃん達が私と梓を楽しそうに見ていた。 うーん……、何なんだろうな、一体……。 滅多に見れない梓の突っ込みが面白い……、とかかな? でも、梓って基本は突っ込み……だよな……? 純ちゃん達の前じゃ、突っ込みじゃないのか? いや、梓の突っ込み体質は間違いないはずだから、 放課後ティータイムの前とわかばガールズの前では、 受け答えややり取りのテンションが違ってるのかもしれないな。 梓って純ちゃんの前じゃ妙にクールだったりするから、ひょっとしたらそうなのかも。 そう考えながら、梓の頭に置いていた手を離して首を傾げていると、 さっきまでのテンションの高さが嘘みたいなクールな梓の突っ込みが私を襲った。 「残念ですけど、律先輩、『真・恩那組』は却下します。 パクリはやっぱり駄目ですよ。 先に考えてたって、現実的には先に発表した者勝ちです。 裁判やっても、絶対に勝てないと思いますよ」 「いや、そりゃそうなんだろうけど……。 うーん……、やっぱそうなのかなあ……。 たまたま思い付いた名前が被ってただけだから、 私達もその名前を使いたい……、ってのは駄目なのか? 和はどう思う?」 おばあちゃんの知恵袋……じゃなくて、皆の辞書こと和に訊ねてみる。 こういう法律が関わって来そうな話は、和に訊くのが一番だ。 和はダージリンで一口喉を潤してから、真面目に応じてくれた。 「駄目ね。たまたま被ってるって話は法律的には通じないわ。 東に急ぐって書いて『のぼる』って読ませてた俳優が居たけど、 有名な会社と名前が一緒になるからって、裁判で負けた事があるのよ。 本名ならともかく、芸名だものね。 故意にしろ、偶然にしろ、法律的にそういうのは認められないの。 ちなみにその俳優は、今は東に生きると書いて『のぼる』さんになってるわ」 「その俳優……って、私だってその人の名前くらいは知ってるんだが。 でも、その裁判の事は知らなかったな。 そっかー……。やっぱ駄目なのか……」 ちょっと口を尖らせて呟いてみる。 別にそんなに残念ってわけじゃないんだけどな。 でも、恩那組って名前をもう使えないとなると、残念と言うか寂しい感じはする。 その私の様子を見たからなのか、和が軽く笑った。 「まあ、内輪だけの限定ユニットなんだから、そこまで深く考える必要は無いんだけどね。 何もメジャーデビューするってわけでもないんだし。 これはあくまで法律的には、って話よ。 それにね、私はそんなに悪くない名前だと思うわよ、『真・恩那組』って」 「えっ?」 声を漏らしたのは梓だった。 和が『真・恩那組』を悪くないって思ってたのが意外だったんだろう。 私だって意外だったけど、そんな信じられないって顔すんなよな……。 梓の方に視線を向けて微笑んでから、和が話を続ける。 「『真・恩那組』……。 名前自体のセンス云々はさておき、インパクトはあるわ。 素人考えで悪いんだけど、バンド名にはインパクトが必要だと思うの。 少なくとも、『真・恩那組』って一度聞いたら忘れられない名前よね? 私見だけど、名前ってそういうのでいいと思うのよ。 『放課後ティータイム』だって、単純だけどインパクトがあるものね。 それに梓ちゃんの話を聞く限り、 『恩那組』って貴方達だけの思い出の一つみたいね。 それって大切な事よ? 演奏を聴かせる相手は唯達なんだから、 貴方達だけに分かる単語を混ぜるのはいい考えだと思うのよ」 そこまで考えてたわけじゃないけど、和にそう言われるのはこそばゆかった。 何だか私の考えを全部分かってくれてるみたいだ。 ふと思った。 よく考えれば、私達のバンドに一番長く付き合ってくれてるのは和だ。 それこそ梓より、憂ちゃんよりも深く長く付き合ってくれてる。 ずっと見ていてくれたんだ……。 だから、私達の思い出を大切にしようって思ってくれてるんだ……。 やっぱり、無理矢理だったけど、和にメンバーに入ってもらってよかった。 参加して、感じてもらいたい。 和が支えてくれた私達のバンドがどんなものだったのかって事を。 心の奥底から。 こんな状況にならなきゃ、絶対に組めなかった私達の新ユニットか……。 私と純ちゃんと憂ちゃんと和と梓がバンドを組むなんて、何だか夢みたいだ。 ドリームチームだよな、マジで。 いや、生き物が居ないこの世界に感謝してるってわけでもないけどさ。 でも、まだ練習も何もしてないけど、本当にライブを成功させたいって思う。 不意に、和がペンと紙を机の上に置いた。 何処にあったのかと一瞬思ったけど、 どうやらさっきまで読んでいた地図に挟んでいた物らしい。 さらさらと何かを描いていく。 私は身を乗り出してそれを覗いてみる。 どうやら和は放課後ティータイムのマークと、 車に付けるわかばマークを重ねて描いてるみたいだった。 描き終えてから、和が宣言するみたいに強めに言った。 「皆にばっかり候補を挙げられるのも悪いから発表するわ。 これが私の考えたユニット名よ」 「おー……、ってユニット名? マーク……じゃなくて?」 「ええ、これがユニット名。どうかしら?」 「どうかしら……って、読み方は?」 「決めてないわ。これがユニット名なのよ」 「何だよ、決めてないって……」 私は肩を落として呟く。 和の言っている事がさっぱり分からない。 記号がバンド名ってバンドもある事はある。 でも、流石にそういうバンドだって、読み方くらいはあるはずだ。 読み方を決めてないって、一体、何だってんだよ……。 憂ちゃんと純ちゃんに視線を向けてみる。 二人とも私と同じに意味が分からないらしく、首を捻っていた。 三人で視線を合わせながら肩をすくめていると、不意に梓が笑顔になって言った。 「ああ、『ジ・アーティスト』のオマージュですね! 和先輩も聴いてらっしゃるんですね、プリンス! その話を知ってるなんて、和先輩も通ですね!」 「ええ、嗜む程度には聴いているわ。 唯が軽音部に入ってから、少しは洋楽も聴いてみようって思ったのよ。 それと高二の頃、澪が話す話題も洋楽の話題が多かったからかしらね」 プリンス……? そのまま王子って事じゃないよな……? 洋楽って事は……、ああ、あのプリンスか。 澪の奴、高二の頃、和と何を話してるのかと思ったら、洋楽の話をしてやがったのか……。 それと和には気の毒だが、唯は洋楽聴いてないと思う。絶対聴いてねー。 まあ、和も分かってて、聴いてみてるのかもしれんが……。 和が苦笑を浮かべ、私と憂ちゃん、純ちゃんの順で顔を見回す。 「軽音部だから通じるかと思ったんだけど、意外と通じなかったわね。 『ジ・アーティスト』……、三人とも知らないの? 律から辺りの指摘を待ってたんだけど……」 「そうですよ、律先輩! 軽音部なんですから、『ジ・アーティスト』くらい分かって下さい!」 妙に高いテンションで梓が和に賛同する。 和と梓の立ち位置が同じなんて、妙な光景だな……。 つーか、自分の仲間が見つかったからって、そんなにはしゃぐなよ、梓……。 私だってプリンスくらい知ってる。 そんなに聴いた事は無いけど、相当なビッグネームって事くらいは分かる。 でも、『ジ・アーティスト』ってのが何なのかはよく分からない。 プリンスと何かの関係があるらしいって事だけは分かるんだが……。 埒が明かないと思ったのか、 梓が溜息を吐きながら私に説明を始めた。 「いいですか、律先輩? プリンスは♂と♀のマークを組み合わせたような記号で名乗ってた時期があるんです。 錬金術に関連した意味のある記号らしいんですが、そこは省きましょう。 プリンスはですね、その記号に読み方を設定しなかったんですよ。 だから、音声では彼の名前を伝える事が不可能になったんです。 そのため、ファンやDJは彼を『ジ・アーティスト』、『元プリンス』、 もしくは『かつてプリンスと呼ばれたアーティスト』と呼ぶようになったんです。 軽音部なら常識な事ですよ? それなのに律先輩ったら……」 いや、知らねーよ、そんな細かいエピソード……。 それって本当に常識なのかよ……。 と言うか、責められるの私だけかよ……。 純ちゃん達が知らなかった事についてはスルーなのかよ……。 多分、軽音部の中じゃ、梓と澪以外、誰も知らないと思うぞ。 しかし、梓の奴、はしゃぐ時はとことんはしゃぐよなあ……。 もしかすると、そういう話もしたくて、軽音部に入部したのかもしれないよな。 そうなると、期待に添えなくてすまんかったとは思うんだが……。 「まあ、候補よ、候補。 インパクトはあったでしょ?」 流石の和も梓にこんなに食い付かれるとは思ってなかったらしく、 ちょっとした苦笑いを浮かべながら、軽い感じに言った。 確かにインパクトはあった。 珍しく梓が食い付くくらいには、物凄くインパクトがあった。 だけどなあ……。 私は大きく溜息を吐いてから、はしゃぐ梓の頭をポンと軽く叩いた。 「落ち着け、梓。 おまえがプリンスを聴いてるのは分かった。 オマージュも悪くないと思う。 でもな、よく考えてくれ。 和の案を採用しちゃうと、 私達は『かつて放課後ティータイムとわかばガールズと呼ばれたアーティスト』、 ……って呼ばれる事になっちゃうぞ?」 「……あっ」 はっとした表情で梓が呻くみたいに言った。 はしゃぎ過ぎてて、そこまで考えが至っていなかったらしい。 プリンスを聴いているとは言え、 梓もその名前で呼ばれるのは嫌らしく、それ以上の言葉を止めた。 まあ、『かつて放課後ティータイムとわかばガールズと呼ばれたアーティスト』じゃなあ……。 何か解散したみたいで気分が悪いしな……。 気付けば、和が私に苦笑を向けていた。 『変な話を振っちゃったかしら?』って感じかな。 妙に食い付かれたけど、別に和が悪いわけじゃない。 梓も、まあ、ほとんど初めて出来た軽音部らしい会話にはしゃいじゃっただけだしな。 場を収めるためにも、私は梓の頭を撫でながら、大真面目な顔で皆に言った。 「ユニット名としてはともかくさ、 私達のユニットのマークとしては採用してもいいんじゃないか、これ? わかばマークとコーヒーカップの組み合わせなんて、私達に丁度ぴったりだしさ。 そこで私は考えたね。考えちゃったね。 純ちゃんと私の案は却下されちゃっただろ? それを無効票の二票と考えると、 残った票は梓、和、憂ちゃんの三票って事になるよな? その三票の内の二票が確実に集まる案が私にあるんだぜ」 「そ……それって……、まさか……」 薄々感付いているのか、梓が深刻そうに呟いた。 しかし、梓には悪いが、この案をただ撃ち貫かせてもらおうじゃないか。 私は立ち上がり、右手の親指を立てて宣言してみせる。 21
https://w.atwiki.jp/83452/pages/18266.html
「それにしても……、何だったんだろうな、唯の病気……か? いや、病気なのか何なのかは分からないけど、とにかく唯の体調不良はさ。 今はあれが嘘だったみたいに、寝入ってからたった三時間でこんなに快復してるし……」 不意に澪が口元に手を置いて首を傾げた。 それは確かに謎だよな。 今の唯の様子を見る限り、その身体には何の異変も異状も無いみたいだ。 あれだけ苦しんでいたはずなのにどうして? って思わなくもない。 ピックを見せてやれば少しは落ち着くはずだとは思ってたけど、こんなに快復するなんて思ってなかった。 嬉しいには嬉しいんけど、やっぱり謎だ。 そうやって澪と一緒に首を捻っていると、ムギが口元に手を当てて神妙な表情を浮かべた。 お、久し振りの名探偵ムギバージョンだ。 ムギには何かの答えが出てるんだろうか? 少し待っていると、ムギがそのままの表情で話し始めた。 「知恵熱……だったんじゃないかな?」 「知恵熱ぅ?」 私と梓の声が重なる。 澪はといえば、呆れた表情を浮かべてないみたいだった。 どうやら澪もその可能性を疑ってたらしい。 唯は澪とムギが主に看病してたんだ。 同じ答えを導き出すのも当然と言えば当然かもしれない。 澪がムギの言葉を継いで続ける。 「ムギもそう思うか……。 私も唯の症状は知恵熱だったんじゃないかって思ってたんだよ。 子供が発症する本来の意味での知恵熱じゃなくてさ、 頭を使い過ぎると熱が出るっていう都市伝説的な意味での知恵熱……。 現実にあるのかどうかは分かんないけど、まあ、唯だしな……」 「あー、唯だし……」 「唯先輩ですしねえ……」 唯を除いた四人が同時に頷く。 知恵熱って、小学生どころか赤ちゃんかよ……。 思い返してみれば、その兆候はあったけどな。 知恵熱とまではいかないけど、唯は難しい事を考えるといつも頭がショートしてた。 本能と感覚で生きてるような奴だから、深く考えるのが苦手なんだよな、唯って奴は……。 それでも、憂ちゃん達が居なくなって、私が馬鹿な事をしようとしてて、 この世界が自分の夢じゃないかって疑い始めたりして、 色んな事があり過ぎて、唯の頭が働き過ぎてたのかもしれない。 そんな事で体調崩すなよって、馬鹿には出来ない。 私だって、高二の頃に澪と喧嘩した時には、知恵熱みたいな感じで風邪引いちゃったもんな……。 私は私の肩にしがみ付く唯に顔を向けてみる。 唯は自分の頭を掻きながら、恥ずかしそうに頭を掻いていた。 まったく……、こいつはいつだって大袈裟で紛らわしい……。 でも、それでいいんだって思った。 私はそんな唯が好きで、そのままの唯で居てほしいんだし、 知恵熱だか何だか分かんないけど、とにかく元気になってくれたのはとても嬉しいんだから。 だけど、心配させたお仕置きくらいはしてやってもいいだろう。 私は唯の頭に軽くチョップしてやると、のこぎりみたいに前後に動かしてやった。 こんなチョップをしてやるのも、そういえば凄く久し振りだ。 手を動かしながら、言ってやる。 「二度とこんな事で心配させんなよ、唯。 いや、その原因の一端は私にもあったわけだけど……、 それでもさ、もうこういうのはやめてくれよ? 私はさ……、私達は……、唯が元気で居てくれるのが一番嬉しいんだからな?」 私は自然に言ったつもりだったけど、唯にとっては意外な言葉だったらしい。 唯は私から身体を離すと、そのまま部屋の床に座り込んで涙を流し始めた。 変な事を言っちゃったんだろうか? 私は少し動揺しながら、涙を流す唯の肩に手を置いた。 「おいおい……、泣くなよ、いきなり」 「だって……、だってぇ……!」 言いながらも、唯の涙は止まらない。 ボロボロと床に零れ落ち続ける。 でも、涙に負けないように、唯は私達に自分の想いを届けてくれた。 「嬉しいよ……? りっちゃんの言葉、凄く嬉しいけど……、ごめんって思っちゃって……。 皆に迷惑掛けてばかりで……、今だって、皆に……。 この世界はきっと……私の夢で……、皆に嫌な想いをさせちゃってて……。 それが……、すっごく……すっごく……」 拭っても拭っても溢れ出す唯の涙。 こいつは自分の辛さには耐えられるけど、 私達が辛く思う事には耐えられない奴なんだ。 でも、それは私達だって同じだ。 私達だって唯が辛いのは嫌なんだ。耐えられないんだ。 だから、私は唯の頭を撫でながら言うんだ。 「迷惑じゃないよ。 そりゃ大変で辛い事もあるけどさ……、 でも、唯と一緒に居て笑えるのは嬉しいんだ。 笑ってくれ。笑って、元気で生きててくれよ、唯」 「生きてて……いいの……? 私が生きてたら、皆が元の世界に……」 「いいよ」 言ったのは澪だった。 家族に一番再会したいのは多分自分のはずなのに、澪はそう言った。 澪は前に進む事を決めてるんだ。 思い出を捨てず、未来を夢見ながら、現在を生きていく事を決めてるんだ。 それは和と……、こんな弱気になる前の私のおかげらしい。 澪にとっては私はそんな頼り甲斐ある奴だったらしい。 自信は無いけど、澪が私をそう思ってくれてるなら、今度こそ迷わないように前に進みたい。 澪が私の方に一度だけ視線を向けてから、言葉を続ける。 「いいんだよ、唯。 律も言ったけど、私達はおまえが元気なのが一番なんだ。 おまえが元気で居てくれたら、それだけで嬉しいんだよ。 勿論、もしも遠く離れる事になったって、おまえが生きてくれてるなら嬉しい。 それにな……」 「それ……に……?」 「一つの事に集中出来るのはおまえの良い所だけど、それしか見えなくなるのは悪い所だよ、唯。 おまえが死ねばこの夢は覚めるかもしれないよな? でも、もしかしたら覚めないかもしれないし、この世界がおまえの夢じゃない可能性も残ってる。 そんな物の試しみたいな事でおまえに死なれてたまるか。 あと、視野が狭いぞ。 元の世界に戻るためには、おまえが死ぬ以外の方法があるってどうして考えないんだ? 私達はまだこの世界について詳しい事は何も分かってないだろ? おまえが死ぬのはこの世界の事がもっと分かってからでもいいはずだよ。 勿論、それしか方法がなくったって、おまえを死なせるつもりはないけどな」 「でもでも、元の世界に戻っても、私は……」 「だから、視野が狭いって言ってるだろ? その解決策も一緒に見つけるんだよ。 元の世界でのおまえは寝たきりなのかもしれない。 目を覚まさない状態なのかもしれない。 でもな……、こんな世界を作り上げられるくらいなんだ。 どうにか頑張れば、おまえが元の世界でも生きられる方法があるって思わないか?」 正直、驚いた。 私もそこまで考えてなかったからだ。 唯を死なせたくないとは思ってたけど、その解決策までは思いが至ってなかった。 そんな……考え方があったんだな……。 もう、澪の奴を怖がりってからかえないな……。 澪は強くなった。 この世界に迷い込んでから、私なんかより、ずっと強くなった。 負けてられないよな、これは……。 勿論、本当にそんな方法があるとは限らない。 無い可能性の方が大きいと思う。 そんな都合よく、唯も私達も救われる手段があるなんて考えられない。 それでも、よかった。 何の目的も絶望するより、過去から逃げ出してるより、それを探す方がずっといい。 もうすぐ、私達が離れ離れになるかもしれないけど……。 「そうだよ、唯ちゃん。 私、唯ちゃんとまた演奏したいもん。 唯ちゃんのギター、澪ちゃんのベースと合わせた新曲が演奏がしたいよ。 折角作った新曲なんだし、皆に聴いてもらいたいな。 りっちゃんと梓ちゃんにも、勿論、和ちゃんや憂ちゃん、純ちゃん達にもね……」 真剣な表情でムギが言葉を紡いだ。 新曲が演奏したい……。 私だってまた唯と、皆と演奏したかった。 今度こそ自分達のために。前に進めるために。 本当の意味で、だ。 皆で本音で話し合えるようになって、やっと分かった事がある。 ロンドンに転移させられる前にやろうと思ってたほうかごガールズのライブ……。 あれは皆と自分を元気にさせるために、勇気を奮い出させるためのライブにしようと思ってた。 ライブをすれば勇気を出せる。 ライブをすれば元気に生きていける。 って、そんな風に考えちゃってた。 それはそれで間違ってないはずだけど、私達らしくなかったかなとも思う。 私達は音楽が好きだ。 音楽を皆で演奏するのが大好きだ。 ただただ純粋に、音を楽しんでいるのが好きだったんだ。 でも、あの時のライブは違った。 音を楽しむんじゃなくて、自分達の不安を紛らわせるためのライブだったんだ。 今ならそれが私にも分かる。 だから、あの日、ライブを開催出来てたとしても、 心の中にしこりのような物が残ってたんじゃないかな……。 もう、そんな演奏はしたくない。 そんな偽物じゃなくて、私達が大好きな本物の音楽を演奏したいって思う。 今度こそ、心から音楽を楽しんで……。 「りっちゃん」 急にムギが私に視線を向けて言った。 私はちょっと動揺しながら訊ねてみる。 「どうした、ムギ?」 「約束……、憶えてる? ワンマンライブ……、今度こそ、やろうね」 「……ああ、憶えてるよ、ムギ」 「本当?」 「うん」 忘れっぽい私には珍しく、それは本当だった。 ずっと前、ムギと自転車で遠出した時にムギとした約束。 私とムギのワンマンライブの約束……。 あの約束は自分達の不安を振り払うための気休めみたいなものだった。 でも、今こそ本当に音を楽しむ意味で演奏したいなって思う。 色々あって延期に延期を重ねた分、最高のライブを見せてやるんだ。 「私だって!」 梓が私達の会話に入って来る。 自分だって負けたくないって意志が感じられる表情だった。 梓だって、ずっと我慢してたんだよな……。 「私だってライブをしたいです! 皆さんとまたライブをしたいんです! 私達のバンドのライブもまだでしたし……、皆さんに私達の曲を聴いてもらいたいです! だから……、だから、唯先輩……。 もう絶対……、死ぬなんて言わないで下さい……! 私、唯先輩と一緒に居たいです……! 皆で一緒に居ましょうよ……!」 軽く叫んでから、梓が唯の胸に飛び込んだ。 梓のその小さな肩は小刻みに震えていた。 ずっと言い出せなかった本音を言うために勇気を出したんだろう。 普段の梓の姿からは想像出来ない意外な行動だった。 梓も素直になりたいんだ。 「あ、あずにゃん……」 いつも自分から抱き着いてるくせに、抱き着かれるのは慣れてないらしい。 戸惑った表情を浮かべながら、それでも、唯は梓を抱き締め返した。 感極まったのか、唯の肩も軽く震えてるみたいだった。 そのままの体勢で、唯が震える声で呟く。 「ありがとね、あずにゃん……、皆……。 そうだよね……、皆でまたライブ……やりたいよね……。 音楽……、やりたいよね……。 ねえ、皆……? 私、皆でまたライブやりたいな。 元の世界に戻ってからでもいいけど……、それじゃ我慢出来ないよ。 私、今日……はちょっと無理だけど、明日にはライブしたいな。 それくらい、皆とライブしたい。 いきなり過ぎる我儘だけど……、どう……かな?」 それは唯がやっと見せてくれた生きる事への意志。 私達と一緒に居たいって想いだった。 その意志を見せてもらえたら、もう断れるはずなんかないじゃないか。 断るつもりなんて最初からないけどな。 私は唯の頭に自分の手を言って、笑った。 自分でもびっくりするくらい、自然に笑えていた。 「いいに決まってるだろ? 明日出来るかどうかはともかくとして、明日からライブの準備を始めようぜ? 久し振りだから腕が鳴るよな。 ただ、相当演奏してないから、どんな出来になるのかは怖いが……」 「あははっ、それもそうだよねー……。 でも、私、それでもいいな……。 下手でも、ひどくても、とにかく皆とライブしたいよ。 どんなに下手でもね……、それが今の私達の精一杯だもん」 言ってから、唯も微笑む。 目尻を涙に濡らしながらも、笑ってくれた。 「そうだな……。 下手でも……、別にいいよな」 「そうだね」 「はいっ!」 澪達が次々に頷いてくれる。 この先、どうなるかは分からない。 唯が言ってた通り、また一陣の風で私達の中の誰かが居なくなるかもしれない。 もっともっと辛い事が起こるかもしれない。 それよりも先に私達はライブをしてやりたいんだと思う。 私達が五人で居られるうちに、精一杯の私達の音楽を演奏してみせたいから……。 「ねえねえ、りっちゃん……」 気が付けば、いつの間にか私は手を唯に掴まれていた。 私は首を傾げて唯に訊ねてみる。 「どうしたんだ、唯?」 「今日……、りっちゃんと一緒に寝たいな……」 「ええっ?」 叫んだのは私じゃなくて梓だった。 まさか唯がそんな事を言い出すとは思わなかったんだろう。 私だって思わなかったけど、梓に先に叫ばれたせいで他の言葉を言い出せなくなった。 唯が無邪気に微笑みながら、梓の頭を撫でる。 「何ー? あずにゃん、やきもちー? 心配しなさんなー。あずにゃんとは明日一緒に寝てあげるからねー」 「そ、それはいいです! ちょっと驚いただけです!」 「もー、あずにゃんは素直じゃないんだからー」 「素直ですってば!」 唯達がいちゃつき始めたせいで、当事者なのに私は言葉を挟めない。 仕方ないから、しばらくいちゃつくのを見ていてやると、 やっと落ち着いたのか、唯がまた柔らかく微笑んで私に言った。 「あずにゃんとは明日一緒に寝るけど、 今日はりっちゃんと一緒に横になって色んなお話をしたいな……。 考えてみたら、私達、最近そんなに話せてなかったよね?」 言われてみるとそうだった。 日本に居た時もライブの準備であんまり会話出来なかったし、 ロンドンに来てからも私の迷いのせいでまともに話せてなかった気がする。 こんな風に普通に喋れてるのって、凄く久し振りなんだよな……。 私は頷いてから、唯の手を軽く握った。 「そうだな……、私もおまえと話したいよ、唯。 大切な話、馬鹿馬鹿しい話、これからの話、これまでの話、それに和達の話……。 色んな事を話したいけど、覚悟しとけよ? 長い話に……なるぞ?」 「うん……、長くてもいいよ。 私、いっぱいいっぱい、いーっぱい、りっちゃんと話したい事があるんだ」 51